教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

「権威」と「権威主義」の違い――『権威主義の正体』

 たとえば、私たちは病気になれば医者に診てもらう。これは医者が病気を治療するプロであり、その道の権威であることを私たちが信じているからに他ならない。病気になったときに、医学のことを何も知らない素人が、何の知識もないままに治療を行なえば、回復するどころかますます悪くなることだってありうる。


 病気になれば医者という権威に身をゆだねる、という選択は本来、この人間社会を生きていくうえで正しいことだ。だが私たちはときに、身をゆだねるべき医者の権威がただの張りぼてに過ぎない場合にも、あたかもそれが本物の権威であるかのように反応してしまうことがある。岡本浩一氏の著した『権威主義の正体』には、ナチスドイツによるホロコーストをはじめとする、偽りの権威に容易に騙され、盲目的に服従してしまう人たちの例を数多く紹介している。この本では、そうした権威もどきを「権威主義」と定義し、本当の意味での「権威」とは別のものだと書いている。


 そもそも権威というものは自分から振りかざすものではなく、その人の言動のなかに自ずからにじみ出るものだ。だが、そうした本物の権威と、権威ある人間を真似ているだけの権威主義とを見極めることの困難さが、この問題をやっかいなものとしている。たとえば、私たちは「肩書き」というものに弱い。○○学教授や××の専門家とか言った肩書きをもつ人が、いかにもそれらしいこと言うだけで、案外容易にその意見に同調し、あるいは服従してしまう。


 なぜなら私たちは、ともすると自分で何かを考えたり、自力で何を調べたりすることを忌避する傾向にあるからだ。よほど自分に深く関係するような事柄でないかぎり、私たちは専門家の言うことを、基本的に正しいと受け入れてしまう。そのほうが生きるのに楽であるし、権威に従っていれば間違いないというのは真実だからでもある。だが、それゆえに権威の備わってない人ほど、権威主義の力を借りて人びとを従わせようとする。さらにやっかいなことに、本当の権威をもつ人が、権威の足りない人の道具として、知らないうちに利用されてしまっているケースもある。そうなると、私たちにとって「権威」と「権威主義」の違いはますますわからなくなってくる。


 できることなら、本物の「権威」と、偽りの「権威主義」をきちんと見定める冷静さがほしいところである。そしてそのために必要なのは、自分たちの無自覚の行動が、もしかしたら権威主義の影響を受けているのではないか、と問いかける意思である。