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教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

ネットことばという新しい世界――『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』

教養書紹介

 以前、私はネット上にウェブサイトをもっていて、そこで長く本の書評を書いてきたことがある。現在そのサイトは、自身の環境の大きな変化があって更新を停止し、そのまま今に至っているのだが、再開できるかどうかは定かではない。というのも、私のそれまでの書評スタイルは、文章がけっこう長くなってしまう傾向があったのだが、そうした傾向がネットという環境にそぐわなくなっているのではないか、という思いが以前からあり、それが書評を再開するという行為を思いとどまらせているからだ。

 藤原智美氏の『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』という本は、そんな私のネット上の言葉に対する「そぐわない」という思いを、「ネットことば」という表現で言い表そうとしたものだと言うことができる。

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最適化だけを考えることの弊害――『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。』

教養書紹介

 世の中に、成功体験や成功事例を取り上げた本はそれこそ星の数ほどあるが、失敗体験を取り上げたものには、なかなかお目にかかったことがない。それはきっと、誰しもが成功を求め、夢みているからに他ならないからだと思っているのだが、ふと現実に目を向ければ、成功事例の裏には、出版された本のそれこそ何十倍、何百倍もの失敗事例があるものだ。だがそうしたものは、なかなか人の目に留まらないものだったりする。

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見えないからこそ怖ろしいもの――『「空気」の研究』

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 エスニック・ジョークと呼ばれるものがある。これは、ある特定の民族や国民の性質を反映するようなエピソードを、面白おかしく誇張して語るという冗談のことだが、そのなかで日本人の特徴として挙げられているのは、「場の空気を読む」というものである。

 沈没しそうな豪華客船から乗客を海に飛び込ませるための説得の言葉として、日本人に対しては「みなさん飛び込んでいますよ」というセリフが適用されている。このジョークをはじめて知ったとき、なるほど、これは確かに日本人を言い表すものだと妙に納得したのを覚えている。みんながやっているから、自分もやる――私はどちらかというと、昔からひとりで何かをやることを好むところがあったため、どちらかといえば空気を読むよりは、空気を壊すほうだったと思っているが、こうした「場の空気を読む」ことそのものを、「研究」の対象としたのが、山本七平氏の『「空気」の研究』である。

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消費の原動力とは何か――『<快楽消費>する社会』

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「快楽消費」という言葉に妙に惹きつけられて手にすることになった、堀内圭子氏の『<快楽消費>する社会』という本であるが、ここに書かれている「快楽」とは、あくまで消費者を消費行動へと走らせる要素として定義されたものであり、そこには従来の消費者行動を研究する学問において中心になっていた「効率化」とは、一線を画したいという問題定義があってのことだというのが見えてくる。

 たとえば、効率的な消費者行動として挙げられるのは、何らかの問題が発生し、それを解決するためにモノやサービスを消費する、というものである。空腹であるという「問題」が発生し、そのために料理を食べに行くという消費行動に出る、あるいは携帯電話が壊れたという「問題」が起こり、新しい携帯電話に買い換えるという選択をする、というのがそれにあたる。

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「生物」であることをどう定義するか――『生物と無生物のあいだ』

教養書紹介

 生物とは何か、という問いは、非常にクリティカルで根源的な命題だ。たとえば、私たち人間は「生物」、つまり生きていると言うことができるとしよう。ではもっと小さなもの、たとえば細菌などはどうだろうか。非常に小さな単細胞生物で、ときには私たちに病気をもたらす病原体にもなる細菌は、はたして生きていると言えるのかどうか。そしてその細菌よりももっと小さく、普通の顕微鏡ではその姿をとらえることもできないウイルスはどうだろう。それらははたして、「生きている」と言っていいものなのだろうか。

 こうした生物の定義に対する方向性、つまり、生物のサイズをどんどん小さくしていき、その機能をどんどん限定していくことで、生物を生物たらしめるぎりぎりのラインを探っていこうという方向性は、福岡伸一氏の『生物と無生物のあいだ』という本においても共通している。そしてその方向性を支えているのは、二十世紀の生命科学が到達した、生物の定義のひとつだ。

 

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老人が狙われる本当の理由――『老人喰い』

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 オレオレ詐欺還付金詐欺など、いわゆる「特殊詐欺」のターゲットとなるのが高齢者であるという事実は、よくよく考えればとくに不思議なことではない。今の時代、一番お金を持っているのが高齢者であることは事実であり、じっさいにビジネスの世界では、お年寄りの貯蓄をいかに引き出すような商品やサービスを考えるのかに腐心しているし、政治家もまた、自身の得票数を伸ばすため、老人に有利な政策を打ち出すという流れが固定してしまっている。

 それでなくとも、日本は「超」がつくほどの高齢化社会へと突入してしまっている。資本主義がいまだ台頭する経済社会で、誰も彼もが多かれ少なかれ高齢者のもつ資本に目を向けずにはいられないのが現状であるが、ただそれだけの理由であれば、他にもお金を持つターゲットはいるはずである。鈴木大介氏の『老人喰い』という本によれば、平成二五年の特殊詐欺全体における被害者の約八割が、六十歳以上の高齢者であるということだが、このある意味で異常とも言える割合が物語っているものが何なのか、特殊詐欺を行なう若者たちの実態に迫ったこの本を読んでいくと垣間見えてくる。

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その思想はいまだ遠く――『現代のヒューマニズム』

教養書紹介

 ヒューマニズムとは何なのか、ということをあらためて考えたとき、私にとっての「ヒューマニズム」とは、その言葉の響きだけは知っているものの、それが指しているもの、意味するものについて、それほど深く考えることもなく今に至っている、ということに気づかされた。

 それまで漠然と「人道的であること」「人にやさしい」といったイメージしか持ち合わせていなかったヒューマニズムには、たしかに人道主義としての側面もあるが、その背景には、人間性というものが多分に抑圧されてきたこれまでの長い歴史がある。一般的なヒューマニズムにおける抑圧の対象としては、キリスト教の精神がそれにあたる。神の存在を至上とするキリスト教の教義を教え広める教会は、基本的に信者である人間に神の存在を疑問視することを許さないものだ。

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