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教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

それはどのレベルの話なのか――『具体と抽象』

教養書紹介

 小説を読むことのメリットのひとつに、「登場人物との対話」というものがある。自分というちっぽけな存在の、ごく限られた一生のなかで、出会うことのできる人はごく限られている。だが小説は、ときに場所や時間さえも超えて、さまざまな人たちと対話し、交流することができる。だからこそ、小説を読むことには意味があるのだ、と私を含む読書家たちは語るのだが、ふだん小説を読まない人たちに、往々にしてそうした意見を理解することは難しい。なぜなら彼らにとって、小説とはフィクションであり、しょせんは作り話でしかない、という意識があるからだ。どれだけ素晴らしい人間の心理や機微が書かれていたところで、それはけっして現実ではないし、他ならぬ自身の経験として味わったわけでもない。そんな紛い物の作り話に、いったい何の価値があるのか、と。

 こうした断絶は、別に小説を読むことの意味だけにとどまらない。世の中を見渡してみれば、多くの場面で似たような意見の齟齬や食い違いが起こり、一方が他方のことを理解不能な異星人であるかのように思い込んでしまうことが多々ある。ときには、その食い違いが暴力や排除にさえつながってしまうことがあるのは、人間の過去の歴史が証明している。細谷功の『具体と抽象』は、そうした意見の食い違いがなぜ起こるのかを、「具体性」と「抽象性」というキーワードから探っている本である。そして著者によれば、物事を抽象化する能力こそが、人間を人間たらしめているものだと語る。

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人は「言い訳」をする生き物

教養書雑記

 人が行動するときに、常に何かを思考した結果としてそうしているわけではなく、むしろ機械的、自動的な行動に身を任せていることのほうが多い、というのは、ロバート・B・チャルディーニの『影響力の武器』に書かれていることで、人もしょせんは動物の一種であって、その反射行為からなかなか逃れられるものではない、という意味で、いろいろと考えさせられる本である。この本では、だからこそその自動的行為につけ込んで、他人を思い通りに動かそうとする人たちに気をつけるように、という注意喚起へとつながっていくのだが、私にとっては、そうした人のより原始的な部分が自分にもあるということについて、少しばかり救いになっているところがある。

 私はよく失敗する人間だ。そして悪いことに、その失敗をいつまでも引きずってしまうところがある。これは私のこれまでの人生において、なんとかしようと思いつつ、それでもなおどうすることもできないまま、今ではこの性質とうまく折り合いをつけて生きていくしかない、となかば諦めているものでもあるが、たとえば、あるまずい行動をしてしまったがゆえに失敗し、誰かに大目玉を食らうさいに、「なぜあのとき、あんな行動をとったのだろうか」と思い返しても、その理由がまったくわからないということが、じつによくあるのだ。

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「国民」という名の幻想――『レイヤー化する世界』

教養書紹介

 十九世紀から二十世紀にかけて確立してきた資本主義という体制が成熟に達し、すでにあちこちで消化不良を引き起こしている状態であるというのは、これまで読んできた本でも指摘されていることである。資本主義の本質は、世界をウチとソトに分けたうえで、富を無限にソトからウチへと吸い上げていくことであるが、その境界線が曖昧になってきているがゆえに、富を内側に溜め込むことそのものが困難になっている、というのが主だった論調だ。インターネットの普及や企業のグローバル化戦略が、さらにその傾向に拍車をかけることになったが、これは見方を変えるなら、地球規模で富が均質化してきている、ということでもある。

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ネットことばという新しい世界――『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』

教養書紹介

 以前、私はネット上にウェブサイトをもっていて、そこで長く本の書評を書いてきたことがある。現在そのサイトは、自身の環境の大きな変化があって更新を停止し、そのまま今に至っているのだが、再開できるかどうかは定かではない。というのも、私のそれまでの書評スタイルは、文章がけっこう長くなってしまう傾向があったのだが、そうした傾向がネットという環境にそぐわなくなっているのではないか、という思いが以前からあり、それが書評を再開するという行為を思いとどまらせているからだ。

 藤原智美氏の『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』という本は、そんな私のネット上の言葉に対する「そぐわない」という思いを、「ネットことば」という表現で言い表そうとしたものだと言うことができる。

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最適化だけを考えることの弊害――『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。』

教養書紹介

 世の中に、成功体験や成功事例を取り上げた本はそれこそ星の数ほどあるが、失敗体験を取り上げたものには、なかなかお目にかかったことがない。それはきっと、誰しもが成功を求め、夢みているからに他ならないからだと思っているのだが、ふと現実に目を向ければ、成功事例の裏には、出版された本のそれこそ何十倍、何百倍もの失敗事例があるものだ。だがそうしたものは、なかなか人の目に留まらないものだったりする。

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見えないからこそ怖ろしいもの――『「空気」の研究』

教養書紹介

 エスニック・ジョークと呼ばれるものがある。これは、ある特定の民族や国民の性質を反映するようなエピソードを、面白おかしく誇張して語るという冗談のことだが、そのなかで日本人の特徴として挙げられているのは、「場の空気を読む」というものである。

 沈没しそうな豪華客船から乗客を海に飛び込ませるための説得の言葉として、日本人に対しては「みなさん飛び込んでいますよ」というセリフが適用されている。このジョークをはじめて知ったとき、なるほど、これは確かに日本人を言い表すものだと妙に納得したのを覚えている。みんながやっているから、自分もやる――私はどちらかというと、昔からひとりで何かをやることを好むところがあったため、どちらかといえば空気を読むよりは、空気を壊すほうだったと思っているが、こうした「場の空気を読む」ことそのものを、「研究」の対象としたのが、山本七平氏の『「空気」の研究』である。

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消費の原動力とは何か――『<快楽消費>する社会』

教養書紹介

「快楽消費」という言葉に妙に惹きつけられて手にすることになった、堀内圭子氏の『<快楽消費>する社会』という本であるが、ここに書かれている「快楽」とは、あくまで消費者を消費行動へと走らせる要素として定義されたものであり、そこには従来の消費者行動を研究する学問において中心になっていた「効率化」とは、一線を画したいという問題定義があってのことだというのが見えてくる。

 たとえば、効率的な消費者行動として挙げられるのは、何らかの問題が発生し、それを解決するためにモノやサービスを消費する、というものである。空腹であるという「問題」が発生し、そのために料理を食べに行くという消費行動に出る、あるいは携帯電話が壊れたという「問題」が起こり、新しい携帯電話に買い換えるという選択をする、というのがそれにあたる。

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