教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

これまで持っていたプラグマティズムのイメージについて

 前回のエントリーで紹介した小川仁志氏の『アメリカを動かす思想』は、アメリカ人の思考の根底にある「プラグマティズム」について、より理解を深めたいという欲求があって読んだ教養書であるが、じつは「プラグマティズム」については、岩波文庫で出ているW・ジェイムズの『プラグマティズム』をずいぶん前に読んだものの、あまり理解できないままなんとなく読むのを中断してしまっていた、という個人的経緯があったりする。

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意識されないプラグマティズムの精神――『アメリカを動かす思想』

 日本にとってアメリカという国は、良くも悪くも切っても切れない関係にある。というよりも、むしろ日本はいまだアメリカの属国だという意識が多かれ少なかれ私たちにはあるみたいだが、そんなアメリカのことを理解するためには「プラグマティズム」と呼ばれる思想を知る必要がある、という話を何度か耳にしたことがあった。私が小川仁志氏の『アメリカを動かす思想』という本を手にとったのは、ひとえにそのサブタイトルにある「プラグマティズム入門」という言葉に惹かれてのことだったのだが、この本を読んでわかるのは、たしかにプラグマティズムはアメリカを動かす思想となってはいるのだが、それはアメリカ人にとって疑う余地のない原理であるがゆえに、ふだんの言動において意識されることすらない、ということである。

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お話をじっくり読むことの大切さ――『物語が生きる力を育てる』

 物語とはどういうものか、物語が人間にどのような影響をおよぼすものなのか、という命題については、それまで小説をはじめとするさまざまな物語と接してきた私にとっては、けっして避けることのできないもののひとつとなっているが、脇明子氏の『物語が生きる力を育てる』を読んだときに驚いたのは、著者が子どもたちの成長において、物語の力をただ賛美しているわけではない、という点だった。著者にとって、子どもの健全な成長に必要なのは、むしろ「実体験」のほうであり、読書や読み聞かせによる物語の効能は、あくまで間接的な体験――実体験を補完するものにすぎないものだという姿勢を明確にしている。

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希望を捨てないという非合理――『なぜ人はニセ科学を信じるのか』

 たとえば「自由」というものについて、あるいは「民主主義」というものについて、私たちはほぼ無条件にそれが「良い」ものであると思っている。人は何かに束縛された状態よりも、自由であるに越したことはないし、民主主義は市民ひとりひとりの意見が政治や行政に反映されるためには必要不可欠なシステムであるのは、疑いようのない事実である。だが同時に、教養書を紐解いて調べてみると、「自由」にしろ「民主主義」にしろ、それらを意義あるものとして維持しつづけていくのは、意外と面倒くさいものであることが見えてくる。

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自分はどんな「キャラ」でいるべきか――『キャラ化する/される子どもたち』

 岩波書店の「岩波ブックレット」シリーズは、少ないページ数と安価な値段で現代社会の問題をわかりやすく説明してくれており、気になる問題の入門書としては格好のお手軽さであるが、土井隆義氏の『キャラ化する/される子どもたち』という本は、日本という国が明治以降に急速に近代化していくことで、日本人の思想や考え方に生じた混迷が、現代においてどのような化学反応を引き起こしているのかを解明しようとしている。

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タコツボ化した日本の近代――『日本の思想』

 教養書を読んでいると、しばしば「タコツボ化」という表現と出くわすことがある。これは丸山真男氏が提唱した、近代以降の日本の社会や文化を象徴する性質を表わしたものであるが、その著書である『日本の思想』を読むと、どのような思考の経緯をたどってそうした表現が生み出されることになったのかが見えてくる。


 この本における「タコツボ化」とは、ある特定の組織や分野が、その内側だけに専門的に特化していき、それ以外の組織や分野とのつながりが乏しくなっていくという、極端な個別化の傾向のことを指す。著者はこうした型とは別に「ササラ型」というものも提唱しており、これは枝葉の部分ではたしかに専門化しているものの、その根元にはひとつの共通した土台がある状態を示している。

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男女の違いを科学する――『科学でわかる男と女の心と脳』

 私のこれまでの人生において、およそ仕事においても、またプライベートにおいても、女性と付き合っていると、しばしば不可解というか、何を考えているのかよくわからなくなるようなことが、少なくとも男同士のつきあいと比べて感じることが多かった。そのたびに、「これだから女ってのは……」なんてことを心のなかでこっそり思ったりしていたものの、単純に「女だから」というひと言で片づけてしまうのも、それはそれですっきりとしない感覚があるのも事実である。

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