教養書のすすめ

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読み書きそろばん、統計学――『統計学が最強の学問である』

 以前勤めていた会社で社内SEを担当していた経験があるが、そもそも企業が業務のシステム化というものに目を向けたもっとも大きな要因は、いかに煩雑で手間ひまのかかる業務を簡略化・効率化することができるか、という点にあった。そのもっとも典型的な例が、伝票処理だろう。さまざまな伝票の金額を集計するために、コンピュータが普及していなかった時代は、多くの人手と時間をかけて行なう必要があった。しかも、人のやることだから、当然計算違いや記入ミスなども出てくる。人件費も馬鹿にならない。


 そうした各種費用と、コンピュータ導入費とその開発費、維持費などを天秤にかけたさい、後者の費用のほうが総合してコスト安となると明らかになったときから、業務のシステム化という流れが生まれていった。そしてその姿勢は、21世紀となった今も基本的には変わっていない。


 つまり、システムエンジニア(SE)にとって、データというのは、業務システム化の過程で発生する副産物という位置づけなのだ。だが、コンピュータやインターネットといった技術が飛躍的に向上した現代において、副産物でしかなかった大量のデータそのものに注目が集まっている。IT用語のひとつに「ビッグデータ」というものがあるが、あまりにその意味が曖昧すぎてもやっとするこの単語の指し示すものは、ようするに企業などに埋もれている一連のデータ群のことでしかない。ただしそこには、一連のデータ群を分析することで、企業の利益になるような情報を引き出すことができないか、という経営者側の願望と、そうしたデータを活用してあらたなシステムを売り込みたいIT業界側の思惑が絡んでいたりする。


 そうした時代において、西内啓氏の『統計学が最強の学問である』という本が出てくるのは、ある意味で必然的なものだろう。もともと統計学を勉強したくて、でも統計学を専門としている学部のある大学が見つからなかった結果、東大の医学部に入学したという著者の思考は、そのまま一連のデータ群を見据える思考にも生かされている。著者にとって「ビッグデータ」とは、ただの経営効率化であるとか、あらたな利益を発掘するための道具とかいったものを超えて、この世界をより良い方向に変えていくための起爆剤でもある。そして、だからこそこの本のタイトルにも、あえて「最強の学問」と断言しているのだ。

 

 日本には「バカの考え休むに似たり」という素晴らしいことわざがある。そして我々人間は基本的にバカなのだと私は思っている。いくら考えてもわかるわけがないことに対して、よく考えたり話しあえばわかるようになるだなんて思うこと自体、たいへんバカな思いあがりなのではないだろうか。(『統計学が最強の学問である』より) 

 

 どれだけ頭の良い人たちが首を揃えていても、それだけで物事がうまくいくわけではないこと、それどころかかえって状況を悪くすることさえあることを、著者はよく心得ている。それは著者が医学という、「失敗が許されない」分野に身を置いていたことと、けっして無関係ではないだろう。だからこそ、考えてもわからないのなら、とりあえず必要最低限なデータを収集し、統計を出してみるべきだ、ということになる。幸いなことに、そうしたサンプルになりそうなデータであれば、すでにどこの企業もある程度は所有しているという時代になったのである。


 ちなみにこの「とりあえず統計」という考えは、ある意味で非常にプラグマティックな考え方でもある。たとえば、喫煙と肺がんの関係性については、今でこそその因果関係が医学的にも証明されているが、肺がんによる死亡率を下げたいという目的を達成するのに、「なぜ」の部分はぶっちゃけどうでもいいことだ。統計学によって喫煙と肺がんとの関連性が、誤差の範囲を無視できないほど大きいものだということがわかったなら、「とりあえず煙草をやめろ」と提案することができる。しかもそれは、人間の経験や勘といった曖昧なものではなく、れっきとした数字で指し示すことができるものなのである。


 もし、この考えがもう少し企業の経営者側に浸透していけば、長いだけで実のない会議や定例報告といった、本当の意味での「コスト削減」や「効率化」が進んでいくのではないだろうか、と思えてならない。