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教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

法を理解する入り口として――『法と社会』

教養書紹介

 碧海純一氏の『法と社会』については、ずいぶん昔に一度読んだことがあったのだが、このブログへのエントリーとしてあらためて再読してみてわかったのは、この本があくまで「法の入門書」として書かれているという点である。つまり著者は、一般教養としての法知識がこの本の先にあるという前提でもってこの本を書いており、けっきょくこの本を読んだきり何年もその先へと進まなかった私としては、おおいに反省しなければならないところである。


 ……まあ、それは置いておくとしても、この入門書の面白いところは、まさに「入門書」であるがゆえに、法というものの定義や存在理由について、相当にラディカルなところにまで踏み込んでいるという点だと言うことができる。


 法というものがなぜ生み出されることになったのか、という命題について考えるのに、およそ人間社会のことを無視することはできない。人は厳しい自然環境において、ひとりで生きていくには身体的にはあまりに脆弱な生き物であり、それゆえに人は互いに寄り集まり、社会を形成していくようになった。そして人が集まれば、そこにはおのずとリーダーとなる人物が現われる。彼は人間集団を取りまとめる中心人物であるが、彼もまたひとりの人間である以上、その能力にはおのずと限界が出てくる。


 人がさらに寄り集まり、母体が大きく膨れ上がったときに、その秩序を維持するための概念としてのルールの要素がはじめて生まれてくる。これが、おそらく「法」というものの原点であるが、よくよく考えてみれば「法」にしろ「社会」にしろ、物体として存在するものではない。それは、あくまで抽象的な概念にすぎないものなのだ。そして、この「抽象性」を想像するというのは、人間にのみ与えられた能力である。この本は、そうしたところにまで踏み込んだうえで、法というものについて語ろうとしている。


 たとえば憲法というものが、市民が守るべき規律というよりは、王や貴族といった支配階級が、その権力を暴走させるのを抑制するという目的があってのことだということは知っていたが、その以前の段階としては、当然の事ながら大勢の人を統制するという目的があった。つまり、もともとは社会が法を生み出す土壌であったのだが、法の歴史を紐解いていくと、逆に法が社会を形作っていくような流れがしばしば起きていることが見えてくる。そういう意味で、『法と社会』というこの本のタイトルは象徴的である。


 人間という複雑な思考を発達させた生き物によって生み出された、けっして完成することのない、しかしそれゆえに常にバージョンアップしていくことを宿命づけられた「法」は、人間社会だけでなく、人間そのものをより知るための、ひとつのアプローチとなりえることを、この本は教えてくれる。