教養書のすすめ

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「戦後」を象徴する世代――『共同研究 団塊の世代とは何か』

 ネットにおいて「団塊の世代」という表現は、そのほとんどが相手を悪く言うために使われている、という印象がある。少なくとも、良い意味で使われているという感じはしない。というより、およそネット上における「団塊の世代」に対する嫌悪ぶりは、ある意味で異常なくらいだとさえ思っている。


 その理由のひとつとしてあるのは、近年話題になっている国民年金の格差だろう。団塊の世代はすでに会社を退職し、悠々自適な年金生活に入れる年齢になっている。だが、年金制度そのものが少子高齢化でその存続すら危ぶまれ、それでなくとも若い人たちの負担は大きく、しかもその額ももらえる年齢も、団塊の世代の人たちと比べれば「払えば払うだけ損になる」とさえ言われているくらいだ。直接戦争を経験したわけでもなく、バブル景気の恩恵を思う存分享受し、老後も安定した年金を受け取れる世代、まさに勝ち逃げ組という印象が、団塊の世代に対して、それ以降の世代が共通してもっているイメージのようである。


 この『共同研究 団塊の世代とは何か』という本は、財務省が主導となり、さまざまな分野の著名人が集まって議論された内容をまとめたものとなっている。私がこの本を読もうと思ったのは、「団塊の世代」というのはそんなにもお得な世代なのか、という疑問があってのことで、そもそも「団塊の世代」という言葉が何を指し示すものなのかをはっきりさせたい、という思いもあった。


 その圧倒的な数の多さという点にだけ注目されがちな「団塊の世代」であるが、彼らのライフサイクルが、そのまま戦後日本の趨勢を物語るという指摘は、彼らを別の角度からとらえるためのヒントである。言い換えるなら、団塊の世代は戦後日本の良いとこ取りをしたというだけでなく、戦後日本の抱える諸問題の影響をまともに被らなければならなかった、ということでもある。


 ネット上での「団塊の世代」のイメージは、とかく自分自慢が得意で自己中心的、何事も根性論や精神論で片づけてしまいがちといったものであるが、「声の大きい意見」がよく目立つというのは、何も彼らにだけ当てはまるわけではない。若かった頃はともかく、バブルが弾けて以降は元気のない世代、そしてそのときに得られた経済的な富を、それとは異なる豊かさへと投資するという流れを指し示すことができなかった世代、時代の決定的な担い手になれなかった中途半端な世代、それが「団塊の世代」の隠された側面でもある。


 どちらにしろ、良くも悪くも「戦後」を象徴し、「戦後」から抜け出せない「団塊の世代」が、はたして幸福なのか不幸なのかは、容易に判断のつけられないことではある。というよりも、そもそも多種多様な人たちによって構成されているある世代について、ひとくくりにまとめてしまうこと自体、乱暴なことだということだろう。