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教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

自分の存在をどう実感するか――『身体感覚を取り戻す』

 もともと読書が好きだった、というか今もけっして嫌いではない私は、知識を得るにもとりあえずその手の本を読んでみる、というのが行動原理になっているところがある。たしかに本は知識を得るための有効や手段であり、また現実に行くことのできない場所に行ったり、体験することのできない人生を追体験したりすることができるツールでもあるが、そうした経験はあくまで本を媒介とした間接的なものでしかない、ということも自覚すべきだろうと最近は思うようになっている。


 斎藤孝氏の『身体感覚を取り戻す』を手にとったのは、そんな読書ばかりに重点を置きつつある自分の生活態度に対する反省、という意味合いがあったのだが、この本に書かれているのは、もっと深刻な状況に対する現状認識と警告だった。それは、かつては日本的なものとしてあたり前に身についていたはずの生きる構え、日本の伝統的な身体文化である「腰」と「肚(ハラ)」感覚の衰退という現実である。


 たとえば、「腰を据える」や「肚におさめる」といった言葉があるが、そのことを身体感覚として実感できる人が、はたしてどれくらいいるだろうか。日本語にはこうした「腰」や「肚」にまつわる表現が多いのだが、それは自身の中心がこのふたつにあることを日本人がよく心得ていたことを示すものだ。身体の中心としての「腰」と「肚」、この感覚を著者は「中心感覚」と呼ぶが、この感覚の喪失こそが、現代人のなかで起こっていることであり、すぐにキレたりムカついたり、あるいは容易に自分や他人を傷つけたりする根本的原因ではないか、とこの本では問いかけている。


 なかでももっとも興味を惹かれたのが、「渾身」を体感するためのトレーニングだ。それはひとりが横に構えた割り箸を、もうひとりが名刺を振り下ろして割ってみるというもので、体の構えが「渾身」――体全体を使って一点に力を振るわなければ名刺のほうが破れてしまう。私もじっさいに試してみて、どうにか成功したのだが、そのときは、これこそが「渾身」か、と思わされるものがあった。たしかな自分自身、自分という存在が、たしかにこの世界にあるという確信は、こうした身体感覚を取り戻すことで得られるのではないだろうか。