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教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

記憶力がもたらす人間の内面――『ナンシー関の記憶スケッチアカデミー』

 このブログのタイトルに、私は「教養書のすすめ」と安易につけたが、はたして「教養書」とはどういう本のことを指すのだろう、とふと考える。図書館ではすべての本が厳密に分類されるが、すべての本がそうした枠に収まるわけではなく、なかにはいくつかのジャンルをまたがるものや、これまでの分類にあてはまらないようなものも出てきたりする。仮に、何らかの知識を得ることが目的の本を「教養書」と定義するなら、じつは小説やミステリー、あるいは著名人のエッセイのたぐいだって、教養書と呼べるのではないだろうか。


 伝説の消しゴム版画家のナンシー関氏が、とある通販カタログの企画として行なっていたものに「記憶スケッチ」がある。あるひとつの「お題」に対して、カタログ購読者に自身の記憶だけでスケッチしてもらい、それを投稿するという企画で、その投稿作品をまとめたものが『ナンシー関の記憶スケッチアカデミー』なのだが、ある意味で絵心溢れるそれら作品集は、いつ見返しても笑いがこみ上げてくるものばかりだ。


 人生に絶望したとき、生きるのに疲れたとき、失敗して落ち込んだときなど、私はこの本にずいぶん助けられたのだが、ナンシー関氏の投稿作品に対する寸評の面白さもさることながら、何よりこの本を見ると、人間の記憶の曖昧さ、あてにならなさというものにも、何か救いがあるように思えてくる。私もふくめた人間というものは、「万物の霊長」などと自称して、いかにも高尚にふるまってはいるけれど、いざ「記憶スケッチ」をさせてみれば、実物とは似ても似つかないようなスケッチしかできなかったりする。人間って、思った以上にいい加減な生き物なんだから、もっと肩肘張らずに生きればいいんじゃない。そんな言葉が聞こえてきそうな気がするのだ。


 もっとも、「アカデミー」と名乗っているだけに、投稿作品に対するナンシー関氏の考察コーナーなどもあり、年をとると線が一気に描けなくなる傾向や、なぜか眉毛を描いてしまう投稿者が多いといった特徴を挙げ、それがどのような思考のメカニズムで起こるのかを、真面目なのかそうでないのかはわからないものの、ちゃんと考察していたりするので、この本もやはり立派な「教養書」だと言えなくもない。