教養書のすすめ

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バナナに秘められた壮大な歴史――『バナナの世界史』

 私たちの身近にありながら、じつはその詳細についてよく知らない、というものは意外と多い。それは、私たちがとくにそれを知らなくても生きていけるからに他ならず、また貨幣という信用によって成り立っている経済活動の賜物でもあるのだが、ダン・コッペル氏の著した『バナナの世界史』は、何よりバナナの奥深さ、とくに、ありふれた果物であるバナナに秘められた、奇妙で数奇な歴史的背景に触れることのできる本である。


 ところでバナナのことを、私は安易に「ありふれた」と書いてしまったが、もともとは熱帯の果物であり、いわばトロピカルフルーツであるはずのバナナが、なぜ日本をはじめとする先進国において「ありふれた」果物となっているのか、昔こそ高級品であったはずのバナナが、なぜ今は一房数百円という安価で買えるのか、不思議に思ったことはないだろうか。本来であれば、その点にこそ疑問を呈すべきなのだが、その結果見えてくるのは、近代以降猛威を振るいつづける資本主義の象徴としてのバナナの姿である。じつは現在、市場に流通しているバナナは「キャベンディッシュ」という一種だけであり、またたった一種しか流通していないがゆえに、現在バナナは地球上から消滅するかもしれない、という危機に晒されているという。


 リンゴにしろブドウにしろ、およそ果物にはさまざまな種類があるはずなのに、ことバナナに関しては、たった一種しか流通していない。この事実が意味するのは、それ以外の種のバナナは必要ないと人間が判断したということである。バナナには、きっちり七日で熟すこと、青いあいだは多少乱暴に扱っても傷つかないこと、栽培方法が簡単で、かつ大量に生産できるといった、人間にとってじつに都合の良い特質があるが、そうした人間の身勝手なコントロールが、ちょっとした病気でいっせいに枯れてしまうという、バナナの種としての弱さを露呈することになってしまった。

 

 しかもこのバナナの危機は、これで二度目であるとこの本では指摘する。かつて世界で流通していた「グロスミッチェル」というバナナの種は、パナマ病によって絶滅しているのだ。そして今、私たちは「キャベンディシュ」に対しても同じような過ちを繰り返そうとしている。


 ときに人びとの争いの種になり、ときに人びとを飢えから救うバナナの歴史は、私たちが考える以上に深く、また人間というもののちっぽけさを思い知らせてくれるものでもある。