教養書のすすめ

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呪術としての漢字――『漢字-生い立ちとその背景-』

 たとえば、「口」や「目」といった漢字の成り立ちについて、私がよく知っているのは実際の口や目の形を模写したもの、というものだった。それは表意文字としての漢字の特徴をよく言い表すもので、白川静氏の『漢字-生い立ちとその背景-』を読むまでは、あまりにあたり前のこととして疑問に思うことすらなかったものだった。


 漢字という、私たちに馴染みの深いものの成り立ちを考察したこの本は、上述したような安易な表意文字としての特徴とは一線を画した、独特の発想法が軸となって論を展開している。その軸とは、漢字がたんなる文字、情報伝達のために用いられる道具としてではなく、もっと呪術的な要素をもつものとして、古代の人たちに浸透していたのではないか、という発想である。中国の遺跡で発掘される動物や亀の甲羅に刻まれた文字が、もっとも古い漢字の形だと言われているが、そもそも中国の卜占の方法として、そうした「甲骨」が用いられていたことから、そこに刻まれた文字、つまり漢字の原型となるものもまた、呪術と密接にかかわっていたのではないか、という考えは、神話や伝説の時代を生きた古代中国人のものの考え方としては、きわめて妥当なものだ。


 たんなる文字として以上の意味合いをもつ「漢字」が見せてくれるのは、かつての中国の地にたしかに息づいていた、ダイナミックで大胆な歴史以前の世界である。この本の中では、「口」は人間の口の模写ではなく、祝詞を入れるための器となり、「右」という漢字は右手でその器をもつという意味へと展開していく。そして「告」という漢字は「牛」が関係しているのではなく、神への祝告を木に懸けてかかげる形として説明される。


 かつて、この地が神々が光臨していた時代において、文字は私たち人間のものではなく、あくまで神々に捧げられる祝詞であり、その時代を生きる人たちにとって、自分たちは神の使役物であることが当然だった。それは、今を生きる私たちにとっては想像もつかない思考ではあるが、真に神の存在を信じていた人たちにとって、神話はただの物語ではなく、血肉の通う紛れもない現実の一部だった。そしてこの本を読んでいると、著者である白川静は、そんな古代の人びとの息吹にもっとも肉薄していた、稀有な人物だったのだろうと思わずにはいられない。