教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

オレオレ詐欺と資本主義に対するモヤッとした気分の正体

以前、鈴木大介の『老人食い』という本を読んだ時に、妙にモヤッとした気分になったことを覚えている。ちくま新書で出版されたこの本は、サブタイトルに「高齢者を狙う詐欺の正体」とあるように、昨今話題となっている、高齢者をターゲットにした「オレオレ…

安定を望むということ――『転がる香港に苔は生えない』

本を読んでいると、ときどき、一度も行ったことのない国のことが書かれているにもかかわらず、まるで自分がその国で生活してきたかのような感覚に陥ることがある。そしてそういう時、その本は私にとって、おそらく海外旅行に行く以上の価値をもたらしてくれ…

「自然に生きる」ということ

私たちはこの世に生まれた瞬間から、大自然から認められた「生きていていい命」である、というのは、名取芳彦の『気にしない練習』という本の言葉である。お寺の住職を勤めている、いかにもお坊さんらしい言葉だが、私たちを構成する肉や骨、内臓も含めた、…

世界と折り合いをつける脳――『養老孟司の人間科学講義』

ほんの数年前まで、私は「まぎれもない自分自身」というものがどこかにあるはずだ、と信じて疑っていなかったし、それをずっと探し求めるような生き方をしていた。今にして思えば、自分というものについて、ずっと漠然とした不安定さを感じていたのだろう。…

見ているのは「指」か「月」か――『なぜ、あの人と話がかみ合わないのか』

ある人が面白いと思って貸してくれた本が、自分にとってはさほど面白いと思えなかったりする場合がよくある。同じ内容の本を読んでいるはずなのに、なぜその人と自分のあいだで正反対の意見になってしまうのか、というのは、私にとってはけっこう重要なテー…

それはどのレベルの話なのか――『具体と抽象』

小説を読むことのメリットのひとつに、「登場人物との対話」というものがある。自分というちっぽけな存在の、ごく限られた一生のなかで、出会うことのできる人はごく限られている。だが小説は、ときに場所や時間さえも超えて、さまざまな人たちと対話し、交…

人は「言い訳」をする生き物

人が行動するときに、常に何かを思考した結果としてそうしているわけではなく、むしろ機械的、自動的な行動に身を任せていることのほうが多い、というのは、ロバート・B・チャルディーニの『影響力の武器』に書かれていることで、人もしょせんは動物の一種…

「国民」という名の幻想――『レイヤー化する世界』

十九世紀から二十世紀にかけて確立してきた資本主義という体制が成熟に達し、すでにあちこちで消化不良を引き起こしている状態であるというのは、これまで読んできた本でも指摘されていることである。資本主義の本質は、世界をウチとソトに分けたうえで、富…

ネットことばという新しい世界――『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』

以前、私はネット上にウェブサイトをもっていて、そこで長く本の書評を書いてきたことがある。現在そのサイトは、自身の環境の大きな変化があって更新を停止し、そのまま今に至っているのだが、再開できるかどうかは定かではない。というのも、私のそれまで…

最適化だけを考えることの弊害――『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。』

世の中に、成功体験や成功事例を取り上げた本はそれこそ星の数ほどあるが、失敗体験を取り上げたものには、なかなかお目にかかったことがない。それはきっと、誰しもが成功を求め、夢みているからに他ならないからだと思っているのだが、ふと現実に目を向け…

見えないからこそ怖ろしいもの――『「空気」の研究』

エスニック・ジョークと呼ばれるものがある。これは、ある特定の民族や国民の性質を反映するようなエピソードを、面白おかしく誇張して語るという冗談のことだが、そのなかで日本人の特徴として挙げられているのは、「場の空気を読む」というものである。 沈…

消費の原動力とは何か――『<快楽消費>する社会』

「快楽消費」という言葉に妙に惹きつけられて手にすることになった、堀内圭子氏の『<快楽消費>する社会』という本であるが、ここに書かれている「快楽」とは、あくまで消費者を消費行動へと走らせる要素として定義されたものであり、そこには従来の消費者行…

「生物」であることをどう定義するか――『生物と無生物のあいだ』

生物とは何か、という問いは、非常にクリティカルで根源的な命題だ。たとえば、私たち人間は「生物」、つまり生きていると言うことができるとしよう。ではもっと小さなもの、たとえば細菌などはどうだろうか。非常に小さな単細胞生物で、ときには私たちに病…

老人が狙われる本当の理由――『老人喰い』

オレオレ詐欺や還付金詐欺など、いわゆる「特殊詐欺」のターゲットとなるのが高齢者であるという事実は、よくよく考えればとくに不思議なことではない。今の時代、一番お金を持っているのが高齢者であることは事実であり、じっさいにビジネスの世界では、お…

その思想はいまだ遠く――『現代のヒューマニズム』

ヒューマニズムとは何なのか、ということをあらためて考えたとき、私にとっての「ヒューマニズム」とは、その言葉の響きだけは知っているものの、それが指しているもの、意味するものについて、それほど深く考えることもなく今に至っている、ということに気…

コモディティからスペシャリティへ――『断る力』

私にとって、勝間和代氏の書いた『断る力』を紹介するのは、多分に痛みをともなう行為でもある。なぜなら、そこに書かれていることは、私という人間がこれまでの人生において――少なくとも、仕事をするという一点において、それまで所属していた会社の環境に…

論理学を論理で理解するということ――『入門!論理学』

突然だが、私はここ数年「東方Project」と呼ばれる一連の同人シューティングゲームにハマっている。もちろん、最新作の「東方紺珠伝」もプレイしたが、これがいつになく難しくて、とりあえずeasyモードしかクリアできていないという状態である。 ……まあ、そ…

「火」という光源の乏しさ――『失われた夜の歴史』

骨董業界を舞台とした北森鴻氏のミステリー『狐罠』のなかで、とあるお椀の贋作を作成するシーンがある。その贋作師はわざわざ同じ時代の木材を手に入れ、同じ時代の道具をもちいて木を削るのだが、さらにその贋作師は、その椀の作成は秘伝ゆえに、おそらく…

自分が「ロートル」であるという認識

前回紹介した西内啓氏の『統計学が最強の学問である』は、読んでいると「統計学」によってどんな因果関係でも数字で説明できるような気になってくる、という点で非常に興味深い本であり、また統計学のそもそもの成り立ちや、どういった経緯があってそうした…

読み書きそろばん、統計学――『統計学が最強の学問である』

以前勤めていた会社で社内SEを担当していた経験があるが、そもそも企業が業務のシステム化というものに目を向けたもっとも大きな要因は、いかに煩雑で手間ひまのかかる業務を簡略化・効率化することができるか、という点にあった。そのもっとも典型的な例…

本でつながる新しいコミュニティーの形――『ビブリオバトル』

読書とは、孤独な行為だという思いが私にはあった。本に対して向き合うのは、あくまで私という人間ひとりであって、たとえ、別の人が同じ本を読んでいたとしても、そこから得られるものも同じとはかぎらない。そもそも「本を読みましょう」という掛け声とと…

考え抜いたことだけを書け――『読書について』

このブログは教養書を読むことで、さまざまな方面の知識を身につけたい、という個人的欲求があってはじめたものだが、そうやって興味の赴くままに教養書を読んでいくと、不意に以前読んだ教養書の知識や、そこで感じたある要素がつながっているのではないか…

人間による神の居場所の探求――『物理学と神』

科学と神、あるいは神学というものは、相容れないものであるという意識が私たちにはあるが、たとえばアメリカにおける「創造科学」の変遷などを考えると、かならずしもそういうわけでないことが見えてくる。「創造科学」とは、おもにダーウィンの進化論を否…

インターネットにおける「PV主義」について

これはより正確には「PV至上主義」と言うべきかもしれない。「PV」とは「ページビュー」のこと。つまり、インターネット上で公開しているウェブページやブログの特定のページが閲覧された回数のことを指す用語である。私はかつて、前世紀末ごろに自身の…

見えない貧困に目を向ける――『反貧困-「すべり台社会」からの脱出-』

日本の景気が良くならない、いや、たしかに景気は良くなったという政府発表とは裏腹に、私たちの生活がいっこうに向上したようには思えない、むしろ悪くなっているようにさえ思えるのは、経済的にはお金が回っていないから、という理由へと帰結していく。誰…

善き生としての正義――『これからの「正義」の話をしよう』

ハーバード大学におけるマイケル・サンデル氏の講義については、一度だけNHKの番組で放送されていたのを視聴したことがあった。それはまったくの偶然であり、またそのときの私は差し迫った用事もあったため、全部を観ることなくその場を離れなければなら…

これまで持っていたプラグマティズムのイメージについて

前回のエントリーで紹介した小川仁志氏の『アメリカを動かす思想』は、アメリカ人の思考の根底にある「プラグマティズム」について、より理解を深めたいという欲求があって読んだ教養書であるが、じつは「プラグマティズム」については、岩波文庫で出ている…

意識されないプラグマティズムの精神――『アメリカを動かす思想』

日本にとってアメリカという国は、良くも悪くも切っても切れない関係にある。というよりも、むしろ日本はいまだアメリカの属国だという意識が多かれ少なかれ私たちにはあるみたいだが、そんなアメリカのことを理解するためには「プラグマティズム」と呼ばれ…

お話をじっくり読むことの大切さ――『物語が生きる力を育てる』

物語とはどういうものか、物語が人間にどのような影響をおよぼすものなのか、という命題については、それまで小説をはじめとするさまざまな物語と接してきた私にとっては、けっして避けることのできないもののひとつとなっているが、脇明子氏の『物語が生き…

希望を捨てないという非合理――『なぜ人はニセ科学を信じるのか』

たとえば「自由」というものについて、あるいは「民主主義」というものについて、私たちはほぼ無条件にそれが「良い」ものであると思っている。人は何かに束縛された状態よりも、自由であるに越したことはないし、民主主義は市民ひとりひとりの意見が政治や…

自分はどんな「キャラ」でいるべきか――『キャラ化する/される子どもたち』

岩波書店の「岩波ブックレット」シリーズは、少ないページ数と安価な値段で現代社会の問題をわかりやすく説明してくれており、気になる問題の入門書としては格好のお手軽さであるが、土井隆義氏の『キャラ化する/される子どもたち』という本は、日本という…

タコツボ化した日本の近代――『日本の思想』

教養書を読んでいると、しばしば「タコツボ化」という表現と出くわすことがある。これは丸山真男氏が提唱した、近代以降の日本の社会や文化を象徴する性質を表わしたものであるが、その著書である『日本の思想』を読むと、どのような思考の経緯をたどってそ…

男女の違いを科学する――『科学でわかる男と女の心と脳』

私のこれまでの人生において、およそ仕事においても、またプライベートにおいても、女性と付き合っていると、しばしば不可解というか、何を考えているのかよくわからなくなるようなことが、少なくとも男同士のつきあいと比べて感じることが多かった。そのた…

「マイカー」という言葉の醜悪さ――『自動車の社会的費用』

車輪という構造は、ごく一部の微生物を除いて、およそ生物界には存在し得ないものである。少なくとも人の目に見える大きさの生物のなかで、その移動手段として車輪という構造をもつものはいない。人が何かを発明するさいに、既存の生物を模倣することからは…

「正常」と「異常」の境界線の遷移について

あえてタイトルに「正常」と「異常」という単語を使ったが、具体的に言えば、私たち人間の心の状態を指していると考えてほしい。その人の精神が健康な状態なのか、あるいは何らかの「病気」にかかっているのか――それは身体的な症状として、比較的わかりやす…

失われた「大きな物語」を求めて――『定本 物語消費論』

最近、私のなかで「物語を消費する」という表現がどうにも気になっているのは、他ならぬ私自身が物語を消費しているという自覚があるからに他ならない。小説や漫画、アニメ、ゲーム、最近では某動画サイトに投稿される二次創作物といったコンテンツは、かつ…

「デキル人」から「デキタ人」へ――『マジメすぎて、苦しい人たち』

たとえば、フロイトによって無意識の領域が発見され、それに「無意識」という名称がつけられるまで、人々はこの世界に「無意識」なるものが存在することを知らなかった。それまで未分類のものであったものが、名前をつけられて人間の理性の領域に分類される…

贈り物としての情報――『街場のメディア論』

内田樹氏の著作については、一時期ずいぶんと入れ込んでいたことがあった。さすがに今はそれほどではなくなっているのだが、当時「まぎれもない自分」というものについて悩んでいたさいに、「そんなものはない」という回答に行き着くことになったきっかけと…

知的対話の面白さ――『ぼくらの頭脳の鍛え方』

現代の知識人を代表するであろう立花隆氏と佐藤優氏が、「必読の教養書400冊」というサブタイトルをつけて著した『ぼくらの頭脳の鍛え方』という本を、「教養書のお勧め本」というくくりで捉えた場合、ほぼ間違いなくこのブログの存在意義は失われてしまう。…

誰もやらないことをやるということ――『職業は武装解除』

およそ教養書にかぎった話ではないが、本を読んでいて面白いと思うのは、普通であれば出会うことはおろか、もしかしたらその存在すら知りえなかったかもしれない人々と、間接的にではあるが知り合うことができるということである。そして、何らかの形でその…

法を理解する入り口として――『法と社会』

碧海純一氏の『法と社会』については、ずいぶん昔に一度読んだことがあったのだが、このブログへのエントリーとしてあらためて再読してみてわかったのは、この本があくまで「法の入門書」として書かれているという点である。つまり著者は、一般教養としての…

「教養」はいかに「プチ化」したか――『教養主義の没落』

以前の教養書エントリーで紹介した岡本浩一氏の『権威主義の正体』では、「権威」と「権威主義」を明確に区別しようとする意図があった。とくに後者については、本来的な権威をもっていないにもかかわらず、まるでそれがあるかのように振る舞う、いわば偽物…

自然とフェアネスに向き合うこと――『サバイバル登山入門』

今の世のなかにおいて、「貨幣」はそれ自体がもつ物質的価値と比べて、各段に高い価値をもって私たちのあいだを流通している。日本の景気がいつまで経っても回復しない、少なくとも、私のような庶民が「景気が良い」と感じられないのは、誰もが先行きの不安…

日本の歩みをざっとおさらいするために――『日本という国』

小熊英二氏の書いた『日本という国』という本は、「よりみちパン!セ」と呼ばれるシリーズのひとつである。出版社は理論社(現在はイースト・プレスにシリーズごと引っ越し、復刊をはたしている)。理論社といえば、会社名こそ堅苦しいが、じつは児童書を中…

日本語の意味の変遷をたどる――『日本語の年輪』

私たちがよく知っている日本語であるにもかかわらず、もはやその日本語がもっていたニュアンスを想像することが難しくなっている単語というものがある。たとえば「かすか」と「ほのか」の区別、たとえば「わび」と「さび」の区別など、今ではどちらも似たよ…

一緒にタイトルで悩みましょう――『ぐっとくる題名』

私は文章を書くことそのものは嫌いではない。むしろ好んで文章を書くようなところさえあるのだが、その代わりと言っては変だが、書いた文章にうまいタイトルをつけるのが昔から苦手だった。思えばこれは、小学校の読書感想文のころからのこの傾向があり、い…

バブル経済は私たちから何を隠していたのか

ブログタイトルだけを捉えると、まるでバブル経済が何らかの意志をもって私たちから何かを見えないようにしていたかのように思われるが、じっさいにはバブル経済が弾けたことによって、それまではささいな事柄として放っておかれたさまざまな問題が、人びと…

不況なのは経済だけではない――『生きる意味』

文化人類学者の上田紀行氏の名前を知ったのは、以前にエントリーした『池上彰の教養のススメ』という教養書のなかでのことであるが、そのなかで彼が、日本人は無宗教なのではなく、「会社」という名の宗教を信仰している、と語っていたことが、私のなかで深…

終わるに終われない「戦後」――『永続敗戦論』

たとえば、「自衛隊」というものが日本にはある。これは、はっきり言ってしまえば日本の「軍隊」に他ならないものだと私は思っているのだが、日本の憲法では「軍隊」をもつことは禁じられている。仮に、「自衛隊」という言葉を知らない外国人があの組織を見…

経済学者から見た経済のカタチ――『経済学という教養』

不況とは、モノやサービスが売れないことであり、社会全体の需要が低下している状態のことを指す。いくら商品をつくり、あるいは新しいサービスを開始しても、消費者がそれを買おうとしない――「モノが売れない」という言葉は、もうあまりに耳にしすぎていて…