教養書のすすめ

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消費の原動力とは何か――『<快楽消費>する社会』

「快楽消費」という言葉に妙に惹きつけられて手にすることになった、堀内圭子氏の『<快楽消費>する社会』という本であるが、ここに書かれている「快楽」とは、あくまで消費者を消費行動へと走らせる要素として定義されたものであり、そこには従来の消費者行動を研究する学問において中心になっていた「効率化」とは、一線を画したいという問題定義があってのことだというのが見えてくる。

 たとえば、効率的な消費者行動として挙げられるのは、何らかの問題が発生し、それを解決するためにモノやサービスを消費する、というものである。空腹であるという「問題」が発生し、そのために料理を食べに行くという消費行動に出る、あるいは携帯電話が壊れたという「問題」が起こり、新しい携帯電話に買い換えるという選択をする、というのがそれにあたる。

  だが高度経済成長期において、消費することの楽しみに目覚めた現代日本の消費者行動を考えるさいに重要なのは、「効率化」ではなく「快楽」であるとこの本では定義する。つまり、もともと人間は快楽を求める存在であり、そのための有効的な手段として、モノやサービスを消費するという行動があるとするのだ。そう考えたとき、消費者は必ずしも効率や合理性といったものだけを最大限にするために、消費行動をとるわけではない、というロジックが成立することになる。

 快楽というのは、人間が生きていくために最低限必要なものというわけではない。だが、この本の著者はその「快楽」こそが人間の生来求めるものだとしている。これはある意味で、現代の日本社会がそうしたものに対して寛容になってきているということでもある。そしてここで言うところの「快楽」とは、たんに官能的なものだけを指すのではなく、リラックスするような気持ちや気楽さ、興味や知的好奇心といった、多くの感覚を含んでおり、言ってしまえばマイナス的な感情でなければ、それはすべて「快楽」としてくくっているのである。

 モノやサービスを消費することが、消費者にとってどのような「快楽」と結びついているのか――そうした視点で消費者行動を捉えようとしているこの本は、少なくとも生物学的に生きるということで精一杯だった、貧しい頃の消費とは一緒にできないという考えをもっている。だが同時に、それは消費者行動というものをより複雑に、より多様なものとしていった。とくに、長引く不況や消費税増税などの影響で、消費が落ち込んでいるとされる昨今、人びとの「快楽」を求める意識は変わらないかもしれないが、より少ない予算でできるだけ得られる快楽を最大化するような流れは、ある種の「賢い消費者」として、今後も続いていくと思われる。

 そして現在、私たち消費者は、消費者であると同時に、生産者という立場にも、以前より容易になり得る時代に生きている。そしてそれを可能にしたのがインターネットであり、ブログやSNSといったツールがそれをさらに加速させることになった。情報をただ受けるだけでなく、自らが情報を発信することができる時代――それは同時に、「快楽」をただ消費するだけでなく、自らが「快楽」を提供する側にもなれる時代なのだ。そんな双方向な快楽のやりとりができる時代において、消費するとはどういうことなのかを、私たちはあらためて考えなおず時期に来ているようにも思える。