教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

コモディティからスペシャリティへ――『断る力』

 私にとって、勝間和代氏の書いた『断る力』を紹介するのは、多分に痛みをともなう行為でもある。なぜなら、そこに書かれていることは、私という人間がこれまでの人生において――少なくとも、仕事をするという一点において、それまで所属していた会社の環境にどっぷりと漬かってしまい、自己研鑽すること、つまりは、自分がそのけっして長くはない人生において何を目指し、どのような生き方をしたいのか、ということの探求や、そのために本当にやるべきことと真剣に向き合うといったことをずいぶんと怠っていた、という事実を突きつけられるからに他ならない。

「断る力」とは、たとえば、ただ会社が要求する仕事を唯々諾々とこなしていくのをやめること、それが自分の目指すべき目標にどれだけ沿うものなのかを判断したうえで、時間と労力に見合わないものであれば、きっぱりと「断る」ための力のことである。ここで重要なのは、仕事を取捨選択するという行為には、まずは自分のことがしっかりとわかっているという前提があるということである。自分が何が好きで何が嫌いなのか、自分はどういう性質の人間で、得意なことと苦手なことは何なのか、そして、自分が目指すべき目的がどこまではっきりしているのか――そういった、自分を形成する軸が見えていないと、そもそも仕事を選択することすらままならないのだ。

 そう、「断る力」とは、自分の軸をしっかりと定めて、他ならぬ自分自身の人生を生きることであり、賢く自己主張することで相手の能力を引き出し、結果としてより生産的な仕事をこなしていくことである。そしてそれは、右肩上がりがあたり前だったバブル期の経営からいまだ逃れられず、またそこから一歩踏み出した手を打てずにいる、今の多くの企業や政府にとっても必要なことだ。

 著者の生き方には、限られた人生の時間を目標の達成のためにどう有効活用すべきなのかという命題と常に向き合い、最適解を導き出すようなところがある。そこにはある意味で究極の「効率化」があるわけだが、そうするためには、やはり自分というものがしっかりわかっていなければならない。この本のなかで主張される、「コモディティ(汎用品)」であることから抜け出すとは、他の誰かに評価をゆだねるような生き方を拒否することであると同時に、自分の言動には最大限の責任をもつという、厳しい生き方を選択するということでもある。

 こうした著者の生き様に触れて、私はふと、これと似たような人生をおくっている人の本を読んだことがあるのに気がついた。「紛争解決」という目標のために常に最短距離を走りぬくような生き方を選択し続けてきた、瀬谷ルミ子氏の『職業は武装解除』である。

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 私は瀬谷ルミ子氏の激烈な生き方について、「すさまじい」という表現をしたが、それはある意味で、瀬谷ルミ子氏にとってもっともプラスになる生き方だったのではないか、ということを、『断る力』という本に教えてもらった気がする。

 日本という国は、私たちが考えている以上に同調圧力の強い国であり、それが美徳とされる時代が長く続いてきたが、そのビジネスモデルが限界に来ているというのは、おそらく誰もが多かれ少なかれ感づいていることでもある。そして、それに代わる新たな生き方、あらたな仕事への取り組み方を示唆する大きなヒントが、この本のなかにはたしかにある。