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教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

論理学を論理で理解するということ――『入門!論理学』

 突然だが、私はここ数年「東方Project」と呼ばれる一連の同人シューティングゲームにハマっている。もちろん、最新作の「東方紺珠伝」もプレイしたが、これがいつになく難しくて、とりあえずeasyモードしかクリアできていないという状態である。


 ……まあ、そんな個人的な話はここまでにして、私がそんな話をしたのは、以下の動画のことを話題にする必要があったからに他ならない。


 この投稿動画は、形こそ東方二次創作であるが、じつは「努力と才能のどちらが優れているのか」という命題に対し、まず「才能」と「努力」という言葉についてしっかりとした定義づけをしたうえで、それぞれの言葉の次元を合わせるために、「努力→成果」「習慣→才能」という因果関係を明らかにするという、じつに論理的な段階を踏んでいるのだ。


 というわけで、私が野矢茂樹氏の『入門!論理学』という本を読んでみようと思った直接的な理由は、この動画における論理構築のやり方が非常に気に入ったからだ、と話がつながることになる。そして、この本を読んでみてまず思ったのが、論理学が多分に数学的というか、記号論的だということである。


 私自身、以前は社内SEという職にあったせいで、いろいろなコンピュータ言語をプログラムする機会があった。そのなかには、andやorを使った演算子や、if~thenといった条件文、あるいは関数や配列といったものがあり、それらをたくさん組み合わせ、ある仕事をコンピュータにさせるためのプログラムを記述していくのだが、興味深いことに、どのようなコンピュータ言語であっても、その根幹のところにあるのは共通したものだった。条件文で分岐させたり、繰り返し文で同じ処理を繰り返させたり、といったパーツは、記述こそ違うが、どれも似たような機能を持たせているのだ。


 この本に書かれている「論理学」とは、コンピュータ言語における数字や文字列の代わりに、「ことば」を使ったものである。and演算子は「かつ」になるし、or演算子は「または」になる、といったふうに、ある特定の、言葉と言葉をつなぐ「ことば」を用いることで、前提と結論との関係を統一的に見通すことを目指す――それが「論理学」だとこの本では述べている。


 著者自身がこの本の最初に断っていることだが、本来の論理学とは、記号や式といった数学チックなものがわんさか出てくるものであるらしい(だから、論理学は「記号論理学」とも呼ばれている)。しかしながらこの本では、そうした記号的なものはできるだけ使わず、縦書きの読み物として論理学を紹介している。つまり、論理学とは何なのか、という非常にラディカルな命題が、ことばだけで論理学を説明するという挑戦によって、浮き彫りにされているということでもある。


 じっさい、論理学とはことばの論理を理論化する行為であり、ことばで形づくられたあらゆる論理を体系化できるというのだから、よくよく考えればもの凄いことではあるが、同時にこのうえなく難しいという実感もある。少なくともコンピュータ言語よりは難しい。なぜなら、プログラムであれば、じっさいに動かしてみて、コンピュータが思ったとおりの答えを返してくれるかどうかをたしかめてみればすむ話だが、論理学の場合、つくられた理論が本当に正しいかの検証を行なうのは人間自身だ。なるほど、論理学が学問として確立されるものむべなるかな、という感じである。


 この本を読んでも、じっさいに論理学を駆使できるというわけではないが、論理学における「論理的に正しい」というのがどういうことなのか、その一端に触れるだけでも、読む価値はあると言えよう。