教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

自分が「ロートル」であるという認識

 前回紹介した西内啓氏の『統計学が最強の学問である』は、読んでいると「統計学」によってどんな因果関係でも数字で説明できるような気になってくる、という点で非常に興味深い本であり、また統計学のそもそもの成り立ちや、どういった経緯があってそうした計算方法が編み出されたのかといった、ラディカルな部分についても言葉を選んでわかりやすく説明している、入門書としてはかなりの良書である。

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 だがそのいっぽうで、この本を読んでいくと、たとえばそこに書かれている統計の具体例についてはよくわかるものの、ではその計算式を具体的にどこでどういうふうに活用すればいいのか、という点については、残念なことにこの本を読むだけではよくわからない、という意見に落ち着いてしまう。


 そう、なんというか、金銀財宝が詰まっているとわかっている宝箱を目の前にしながら、その蓋を開けるための鍵が見つからないかのような、なんとももどかしい気分になってしまうのだ。


 そうした思いについては、著者自身もある程度感じていたらしく、じつは後に『統計学が最強の学問である[実践編]』という本を出していたりする。そう、「実践編」――これを読めば、私もビジネスの「スキマ産業」を突くかのごとく、会社の売上を伸ばすアイディアを統計解析を駆使して提言できるようになると思い、さっそくこの本も読んでみたのだが……。


 これまた残念ながら、私はこの本を最後まで読み通すことができなかった。


 本自体が悪いというわけではない。統計学を扱った本としては、おそらくわかりやすく丁寧な部類に入るだろうという確信がある。だが、いかんせん私自身が、統計学的専門用語や数字の羅列、計算式の内容について、理解がついていかないのだ。


 私は以前の会社では社内SEという職種についていた、と前回のエントリーでは書いた。そのこと自体は嘘ではないのだが、では私がコンピュータやIT分野について、どれほど詳しいかといえば、じつはまったくもってたいしたことなかったりする。


 というより、私はもともと文学部出身の完全な文系であり、統計解析のような分野とは正反対の位置にあると言える。まあ、それでもなんとかSEをやっていけた、というのが面白くも奇妙なところなのだが、たとえば私の携帯端末はスマートフォンではなく、いまだにガラケーであったりするし、スカイプは使ったこともなく、LINEやFACEBOOKといったSNSについては、触ったこともないという有様だ。


 ようするに、私はそうした分野については、今やすっかり「ロートル」な人間に成り下がってしまっている、ということである。『統計学が最強の学問である』の言葉を借りるなら、「読み書きそろばん」と同じくらいの基礎となった「統計学リテラシー」を理解できない私は、理解できる新人類にとっての「カモ」ということになる。


 だが、とりあえず自分が「ロートル」な人間であるという認識を経なければ、おそらく何も始められないのだろう、とも思うのだ。そうした認識に立てたというだけでも、今回は良しとするしかないのだが、しかし、私もなんとか統計学について、少しでも理解を深めることができないだろうか、と考えずにはいられない。