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教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

これまで持っていたプラグマティズムのイメージについて

 前回のエントリーで紹介した小川仁志氏の『アメリカを動かす思想』は、アメリカ人の思考の根底にある「プラグマティズム」について、より理解を深めたいという欲求があって読んだ教養書であるが、じつは「プラグマティズム」については、岩波文庫で出ているW・ジェイムズの『プラグマティズム』をずいぶん前に読んだものの、あまり理解できないままなんとなく読むのを中断してしまっていた、という個人的経緯があったりする。


 もし機会があれば、『プラグマティズム』についてもいつか再読したいと思ってはいるが、断片的なイメージとしてあるのは、妙に哲学的な思考や宗教にこだわっていたなあ、というもので、じつはそうしたイメージとはまた異なるものを、プラグマティズムという思想について抱いていたということを、ふと思い出した。
 私がかつて――というか、今も多少はそうじゃないかと思いこんでいるプラグマティズムのイメージというのは、ハリウッド映画でよく見かけるこんなシーンに象徴される。


 たとえば主人公が、敵から逃げるためか、あるいは敵を追いかけるためといった目的のために、近くにあった車に乗り込んで発進させようとする。ところが、エンジンの調子が悪いのか、あるいはガソリンが少ないのか、理由はわからないものの、うまくエンジンがかかってくれない。主人公はいろいろとやってはみるが、どうにもうまくかからない。このままでは目的を果たすことができず、ピンチを迎えてしまう。


 こうしたとき、主人公がとるひとつの典型としてあるのが、車に対して悪態をつき、過激な行動に出る、というものだ。たぶん、日本語字幕ではこんなセリフが出てくるはずである。「ええい、動けってんだ、このポンコツ!」そしてハンドルかどこかを殴ったり蹴ったりするのだ。不思議なことに、それがきっかけでエンジンが突如かかり、車は無事発進することになる。


 もちろん、こんな方法が現実で何度も通用するはずはない。もし同じようなことが再度起こったとして、あんな乱暴な方法をくり返したところで、車のエンジンがまた上手い具合にかかるかどうかは非常に怪しい。むしろ、エンジンがかからない原因をきちんと検証したほうがより現実的であるはずだ。


 だが、人生においてそうした検証に時間をかける余裕が常にあるとはかぎらない、というのも事実である。おそらく、上記ハリウッド映画の主人公は、こんなふうに思っているのではないだろうか。「過程はともかく、エンジンはかかった。俺のやろうとしていることは間違ってはいない」と。


 そう、私がずっとイメージしていた「プラグマティズム」とは、実践の結果を「正しさ」に安易に結びつけてしまう思想のことだったのだ。アメリカという国が、戦後になってもなお、まるで自分が世界を守る軍隊だと言わんばかりに、あちこちの紛争地域に派兵しつづけているのは、そこでの勝利を目的とすることで自分たちの行為の正しさを正当化しようとしているからではないのか、という疑念が私にはあった。じっさいの「プラグマティズム」というのは、それほど単純なものではないと、今回の教養書を読むことでわかったのだが、どうにも私のなかでこのイメージが残っているのは、やはり「結果こそすべて」というアメリカのイメージが、どこかで抜けていないせいなのだろう。

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