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教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

自分はどんな「キャラ」でいるべきか――『キャラ化する/される子どもたち』

教養書紹介

 岩波書店の「岩波ブックレット」シリーズは、少ないページ数と安価な値段で現代社会の問題をわかりやすく説明してくれており、気になる問題の入門書としては格好のお手軽さであるが、土井隆義氏の『キャラ化する/される子どもたち』という本は、日本という国が明治以降に急速に近代化していくことで、日本人の思想や考え方に生じた混迷が、現代においてどのような化学反応を引き起こしているのかを解明しようとしている。


 この本のタイトルにもある「キャラ」とは、キャラクターのことを指している。つまり、物語の登場人物などといった架空の存在のことであるが、この本でいう「キャラ」という単語には、その架空の存在をいかにも本物っぼく肉付けするために与えられた特徴のことを、とくに意識しているところがある。そして現在、学校に通っている子どもたちが、自分自身の定義づけにおいてこの「キャラ」という考え方に、外からも内からも強要されているような状態にある、というのが著者の主たる論点となっている。


 今の若い人たちの人間関係について、著者は「排除型社会」という単語を当てているが、これは以下のような特徴をもっているとしている。

 

  • ネットや携帯電話、スマートフォンなどの技術や機器によって、誰とでも気軽につながることができるようになったにもかかわらず、そのつながる範囲は非常に狭く、限定的なグループ内でのやりとりで完結する。
  • 同じグループ内では、必要以上に「場の空気を読む」ことが求められる。
  • 同じ年代の人たちや、同じクラスの生徒であっても、グループが異なるとその間での交流がなかなか起こらない。むしろ意識して避けるようにしている。


 近代以前の日本のような、明確な身分制度がなくなって、私たちは個人として相手と接することを学んできたはずである。だがじっさいには、私たちは相手がどの身分に属しているかという基準の代わりに、別の基準を割り振ることで対処してきたところがある。それはたとえば、働いている会社であったり、どこの大学を卒業したかであったり、あるいは弁護士とか政治家といった肩書きであったりするのだが、今の日本ではそうした、ある程度万人にも通用してきた基準も崩壊し、とく若い人たちは何を基準として自分自身を確立していけばいいのかわからなくなっていると言うことができる。


 そしてその混迷への対策として彼らがとっているのが、自分自身をとりあえず「キャラ」づけするという方法であるとこの本は指摘する。だが、その「キャラ」はあくまで彼らの属する、きわめて狭い範囲のグループ内における、場の空気を読んだ結果としてのものであり、そこには当の本人がその「キャラ」づけをどこまで好ましく思っているかどうかは無視されている。


 この本では二〇〇八年六月に起きた、東京秋葉原での無差別連続殺傷事件の犯人について言及しているが、Twitterなどのツールにおける安易な犯罪自慢など、現代の若者特有と思われる事件の背後を考えるさいにも、こうした特徴をつかむことで、見えてくるものがあるはずである。そしてそれは、ひるがえって私たち大人の混迷を見据えるための指標にもなるはずである。