教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

「デキル人」から「デキタ人」へ――『マジメすぎて、苦しい人たち』

 たとえば、フロイトによって無意識の領域が発見され、それに「無意識」という名称がつけられるまで、人々はこの世界に「無意識」なるものが存在することを知らなかった。それまで未分類のものであったものが、名前をつけられて人間の理性の領域に分類されることで、はじめて私たちは、その存在を認識できるようになる、というのは、実在論的に不思議なものがあるのだが、こと精神医学の世界においては最近になって、身体的な病気と同じように、精神の不調による病気に対しても、さまざまな名称がつけられるようになった。


 以前であれば病気として認められず、ともすると「怠けている」「努力が足りない」と一蹴されていたことが、正式に病名を与えられることで心の病気と診断されるのは、歓迎すべきことである。病気であるとすれば、それに対してどう治療すべきなのかという視点も生まれてくるし、たとえそれが脳や神経の機能障害から来るものであるとわかったとしても、その人はそういう症状を抱えているという意識によって、どのように接していくべきなのかも見えてくる。


 松崎博光氏の『マジメすぎて、苦しい人たち』という本は、「適応障害」というストレス疾患について書かれたものだ。およそ二十年ほど前に命名されたこの疾患は、とかく真面目で頑張り屋な性格の人たちがかかりやすい、比較的軽度な心の病であるが、かつてはうつ病でさえ「病気じゃない」と言われてきた時代からすれば、隔世の感がある。そして、それは同時に、現代社会で生きていくうえでのストレスが、それだけ多い時代になったということでもある。

 

 適応障害が話題になってきたというのは、ある意味で文化が成熟し、軽いレベルの精神疾患にも光が当たるようになってきたということがいえます。(中略)文明が発達し、豊かになってきて、みんなが幸せに人生を送りたいと思うようになってきた。だから光があたるようになったともいえるのです。(『マジメすぎて、苦しい人たち』より)

 

 どんな人でもかかる可能性のある「適応障害」とはどういうもので、どんなふうにしてその症状を認識し、どんな治療法があるのかをこの本は紹介しているが、読んでみてわかるのは、およそ人間社会においてストレスと無縁でいつづけることはできない、という前提を著者がもっていることである。特定のストレス因子によって、それまで順調だった人生がうまくいかなくなることを、この本ではできるだけポジティブにとらえるような配慮がうかがえるのだ。


 そういう意味で「適応障害」とは、それまで抑圧してきた自分の本当の気持ちと向き合う機会だと言える。ストレスとうまく付き合っていくこと、それもまたひとつの教養の形である。