教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

知的対話の面白さ――『ぼくらの頭脳の鍛え方』

 現代の知識人を代表するであろう立花隆氏と佐藤優氏が、「必読の教養書400冊」というサブタイトルをつけて著した『ぼくらの頭脳の鍛え方』という本を、「教養書のお勧め本」というくくりで捉えた場合、ほぼ間違いなくこのブログの存在意義は失われてしまう。なにせ、その読書量や知識の量で言えば、私の書くブログの情報など、お二方の足元にも及ばないお粗末なもので、「どんな教養書を読むべきか」という点で言えば、この本一冊あれば事足りてしまうことになる。


 そういうこともあって、ずいぶんとこの本を読むのをためらっていたのだが、いざ読んでみて思ったのは、このお二方はたしかに多くの教養書を紹介し、またそれらを読むことを勧めてはいるが、その一方で、ただ自分たちに言われるがままに教養書を読めばいい、とは考えていないし、またそうすべきでもない、という姿勢をもっているということだった。


 この本の基本は、立花隆氏と佐藤優氏がさまざまなテーマをもとに、自由に対談した内容を記したものである。どちらもその知識の量のハンパなさもさることながら、一方があるテーマを提示したときに、もう一方がさらっとその内容に触れたり、それに対する意見や反論をしたりして、対話が途切れないという点に圧倒される。


 もっとも、そこには知識人同士の微妙な駆け引きというか、「俺だってそのくらいのことは知っているんだぜ」「その本は読んでないけど、内容くらいは把握しているよ」といった、ちょっとしたプライドのぶつかりあいみたいなものが垣間見えて、それもまた面白かったりするのだが、そんなお二方のお勧めする教養書が、まず一筋縄ではいかないものであることを、この本を読むさいには認識しておくべきだ。


 たとえば、立花隆氏のお勧め教養書のなかには、ヒトラーの『わが闘争』や、共産主義思想へとつながるトマス・モアの『ユートピア』といったものが入っているが、そこにはかつて人間社会がどんなふうに狂っていったのかを、あくまで知識として知るべきだという思惑があってのことであり、純粋な教養書ではなく、反面教師として読む必要がある。それでなくとも、お二方のお勧め本を見ていると、その人の人柄や生き様というものがものすごく反映されているのがわかってくる。


 言い方を変えるなら、この本に載っている「必読の教養書400冊」は、どこまでも行っても「立花隆版」「佐藤優版」という単語が頭についてしまう。そして私たちがそれらの本を手にとるさいには、そうした「単語」をいったんは振り払ったうえで、自分自身がどのような目的があって、あるいはどんな好奇心があるからこの教養書を読むのだ、という姿勢をあらたにする必要がある。


 ただ勧められるままに教養書を読むのではなく、何を読むのか、そして読んで何を思い、考えるのかを常に思索すべきである、という隠されたメッセージが、この本にはあるように、少なくとも私には感じられた。