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教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

「教養」はいかに「プチ化」したか――『教養主義の没落』

 以前の教養書エントリーで紹介した岡本浩一氏の『権威主義の正体』では、「権威」と「権威主義」を明確に区別しようとする意図があった。とくに後者については、本来的な権威をもっていないにもかかわらず、まるでそれがあるかのように振る舞う、いわば偽物の権威ととらえることで、それに騙されてしまう人々に注意を喚起しようとしていた。

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 私が竹内洋氏の著書『教養主義の没落』を手にとったのは、この「主義」という言葉がひっかかってのことだった。どうもこの「主義」という表現は、そこに付随する単語を不穏なものへと変えてしまうものがあるように私には思えるのだが、この本にかんして言うなら、「教養主義」に対する善悪の判断には言及してはいない。


 ここで取りあげられる「教養主義」とは、哲学や文学系の本を真面目に読みこんでいた旧制高等学校生たちが信奉していたものであり、教養を積むことで自身の人格をより完全なものにしたり、知識によって世のなかをより良い方向に導くことを目指す思想のことである。彼らが「教養」を身につける過程にある者、という意味では、「教養主義」が真の「教養」に足りていない状態であることと同義ではあるが、そのことをもって良い悪いを論じるのではなく、あくまでその「教養主義」の精神や、その主義者たちの有為変転を論じるという態度に終始している。


 旧制高校を源泉とする「教養主義」というと、団塊Jr世代である私にとってはいかにも遠い存在のように思えるが、この本を読んでいくことで、このある意味で「教養至上主義」とも言える精神が、けっして戦前のものではなく、戦後になってもなお命を長らえてきたことが見えてくる。そしてそれは、教養主義が大衆化し、それにともなってその内容が変質していく過程でもある。


 私自身がそうした「教養主義」の雰囲気をわずかに感じることができたのは、幼い頃に家にあった、いかにも高価そうな百科事典の存在だった。けっして裕福とは言えない、そもそも家族の誰も読書家でも知識人でもない家のなかで、その百科事典の存在はいかにも場違いなものがあったと今にして思うが、この本によれば、すでに「教養主義」の崩壊が始まっていた1980年代において、その象徴とも言える百科事典に図書館ではなく、家で触れることができたのは、私の実家が地方の田舎にあったことと無関係ではないだろう。


 マルクス主義と戦後の「教養主義」との結びつきや、60年安保闘争を「教養主義」というベクトルから捉えることで見えてくるもの、あるいは岩波書店が戦後「教養主義」にもたらした影響など、私たちにとってもけっして無関係ではない問題が、この本のなかにはある。そしてそれは、これからの社会に必要となってくるであろう「教養」の在り方にもつながっていくはずだ。