教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

自然とフェアネスに向き合うこと――『サバイバル登山入門』

 今の世のなかにおいて、「貨幣」はそれ自体がもつ物質的価値と比べて、各段に高い価値をもって私たちのあいだを流通している。日本の景気がいつまで経っても回復しない、少なくとも、私のような庶民が「景気が良い」と感じられないのは、誰もが先行きの不安を感じとり、貨幣をできるだけ使わないようにしようと意識しているから、という説があるが、それはある意味で、「安全」をお金で買おうという行為の代替案とも言えるものだ。


 だが言うまでもなく、「安全」はお金で保証されるようなものではない。というよりも、お金の価値はぶっちゃけてしまえば、その貨幣を発行している国の「信用」にすぎないものであり、その「信用」もまた永遠不変のものではない。そんなふうに考えたとき、「お金が紙くずになっても生き延びるためにはどうすればいいのか」という発想が生まれてくる。


 服部文祥氏の『サバイバル登山入門』は、そのタイトルにあるように、「サバイバル登山」のための入門書である。だが、この本を読んでまず大方の読者が思うのは、「サバイバル登山」そのものがもつハードルの高さだ。なにせその内容は、「必要最低限の装備で登山する」というものである。現地で食糧を調達し、現地で宿泊地を決めてキャンプをはり、現地で薪を集めて火をおこして調理する――文明の利器に頼らないそれらの行為が、どれほど大変な事なのかを想像するのは難しくない。だが、たとえばどこを野営地とするのが良いのか、どうやって火をおこし、それを維持するか、食べられる植物はどんなもので、いつごろ採れるのか、猟銃をどのようにして取得し、獲物を狩り、解体するかといった、まさに「サバイバル」の方法が満載のこの本には、まさに私が欲しかった知識があった。


 もちろん、そういった知識があるということと、じっさいにその知識を「活用」できることとは雲泥の差があるわけだが、その「雲泥の差」をこのうえなく意識するというだけでも、この本を読む価値はある。著者自身にしても、やみくもに登山をするわけではなく、事前準備や調査を入念に行なったうえで、「サバイバル登山」を実施している。そしてそのうえで、想定外の事態にどう対応するかという点に、著者が感じているのは「自由」という感覚だ。

 

 自由とは、自分を取り巻くどうしようもない前提条件から、人為的なものを取り除いた先で、自分の力だけで生きる瞬間にあるものではないか。(『サバイバル登山入門』より)

 

 自然というものに対して、できるだけ対等な立場で対峙したい、そして自分というものの限界を感じたい、という著者の矜持は、まさに究極の自由人とでも言うべき態度であり、ひとりの人間としてはしびれるほど格好のいいものだ。誰でもができるようなことではないのだろうが、せめてこの矜持くらいは見習いたいものだとつくづく思う。