教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

経済学者から見た経済のカタチ――『経済学という教養』

 不況とは、モノやサービスが売れないことであり、社会全体の需要が低下している状態のことを指す。いくら商品をつくり、あるいは新しいサービスを開始しても、消費者がそれを買おうとしない――「モノが売れない」という言葉は、もうあまりに耳にしすぎていて、もはやそれが普通のことなんじゃないかとさえ思えてしまうのだが、こうした不況の原因や、その対策として何をすべきなのかといった命題について、経済学という方面から捉えてみると、どうもいろいろな意見があるようだ。


 稲葉振一郎氏の『経済学という教養』は、私たちにとって無縁ではない経済活動について理解しようとしてきた「経済学」の入門書として書かれたものである。著者自身も「経済」そのものではなく、「経済学」の入門書だと断っているが、経済という「なんだかよくわからないモノ」に対して、人びとがどのようなアプローチをもって研究し、学問として体系づけていったのかを解説するのが、この本の趣旨となっている。そしてそのための、一般人にとってわかりやすい切り口として著者が用意したのが、「不況」と「不平等」というキーワードである。


 市場における需要と供給の関係は、ミクロ経済学においては価格の変化によって判断するものだ。つまり供給>需要となれば価格は下がるし、供給<需要となれば価格は上がる。だが、この本来あるべき市場の調整能力は、経済全体で需要が不足している不況時にはあまりうまく働かないらしい。このことを指摘したのがケインズであり、そこから発展していったのがマクロ経済学ということになる。こんなふうに、私のような者がブログでわかりやすく解説ができているのも、この本のわかりやすさゆえのことであるが、それでもなお、なぜ不況が続くのか、あるいは経済的な不平等とはそもそもどういうものなのか、といった命題については、なかなかに複雑な事情が絡んでいることもまた、この本を読むとわかってくる。


 経済について、わかりやすい理論があればどれだけいいだろう、と思う。だが、現実はそうではないし、だからこそ安易な「構造改革」の言葉を鵜呑みにすべきでもないのだが、この本のなかでひとつ興味深かったのは、本来はただの約束事であり、それ自体に何の価値もないはずの「貨幣」に対し、人びとが必要以上に価値を置いているから不況が続くという論である。


 たとえば私自身、必要以上に金を使わないようにしようという心理があるのだが、それがはたして魅力的な商品が少ないからなのか、と問われると、どうも違うような気がしてならなかった。マクロ経済学において、消費者が金を使わない理由としてモノやサービスに問題があるという考えも当然あるが、その一方で、将来への不安などといった要因が、モノやサービスへの交換に貨幣を使うことを渋る――言い換えれば「安全」を買う代わりに金そのものを貯め込むからこそ不況が続く、という分析をする一派もあるとこの本には書かれている。


 これは私のお金に対する心境に近いものがあるし、また著者自身もこちらの論に重きを置いているところがある。もし、これが不況の根本要因であるとするなら、何より将来への不安を取り除く必要があるのだが、その道のりはなかなかに険しそうだと言わなければならない。