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教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

どうやって齢相応になるのか――『「若作りうつ」社会』

 私は不惑を超えたオッサンであるが、文字どおり惑わないような生き方をしているかと問われれば、じつはこの年になっても迷ってばかりいることを告白しなければならない。自分はもう若くはないという自覚はあるものの、何となく若いときの精神のまま年だけ積み重ねてきたような感覚があり、まるで心が体に置き去りにされたかのような落ち着かなさに、ときどき囚われることがある。


 熊代亨氏の著した『「若作りうつ」社会』という本のタイトルを見たときに、「これは自分のことが書かれている」と直感した。そして読み終えたときに、その直感が確信に変わったことをよく覚えている。


 この本の主要なテーマは、「どうやって年をとるか」ということだ。いや、人はそもそも放っておいても絶対的真理として年老いていくものであるはずだが、精神科医としての臨床経験を積んできた著者の目には、そのあたり前の真理をうまく受け入れることができない大人たちが増えていると映っている。「どうやって年をとるか」というテーマの背後には、「年のとり方がわからない」という命題がある。本来であれば、成熟した大人の見本としてあるべき年長者モデルが消失し、メディアをはじめとする世のなかが、しきりに若さこそが絶対的価値のあるものとして喧伝した結果として、齢相応になれないという深刻な悩みを抱え込んでしまう。


 肉体的にはいつまでも若いままではいられない、にもかかわらず、精神的には若いままでいなければならない、無理をしてでも「若作り」をしなければならないことからくるうつ状態――この本のタイトルは、そんな人たちを総称する著者の造語であるが、じつに言い得て妙だ。


 この人間社会において、たんに年をとることと、「成熟」することとは、別物だという考えが著者にはある。それは人間社会を、ひとりひとりが個として独立した存在の寄せ集めとして捉えるのではなく、年齢ごとに何らかの社会的役割を担う組織として捉えるという視点があるからこそのものだ。言ってみれば、「どうやって年をとるか」という命題には、身体的加齢ではなく、社会的加齢を加味したものが含まれている。そして今の社会において、そうした社会的加齢をうまく達成できない理由として著者が挙げているのが、世代間のコミュニケーションの断絶である。


 言われてみれば、お年寄りや子どもたちと話をする機会というのは、こちらが意識して行なわなければ、あるいはそうした関連の職業にでもついていなければ、思った以上にないものだ。そして世代の違いというものを意識できなければ、いつまで経っても他者との比較という相対的な意味で、自分の年齢を意識することもできないのかもしれない。「どうやって年をとるか」という問題は、これからの社会のありようを考えるうえでも、ひとつの鍵となりそうな感じがする。