教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

世界を変える単純な方法――『ペイ・フォワード』

 今回のエントリーで取り上げるのは、教養書ではなく小説なのだが、世界をより良い方向に変えていくにはどうすればいいのか、という命題に対して、おそらくもっとも単純で、だからこそ難しい方法が書かれている。キャサリン・ライアン・ハイド氏の『ペイ・フォワード』で、十二歳の少年トレヴァーが思いついた計画は、以下のとおりである。

 

・まず、誰か三人を助ける。
・助けた相手に対して、見返りを求めない。
・助けられた相手は、別の三人を助けなければならない。

 

 助けられた人が、助けた人にその恩を返す(ペイ・バック)のではなく、別の困っている三人の誰かを助けるという、この「ペイ・フォワード」の考えは、もし誰もがそれを実行していけば、三人が九人を助け、九人が二十七人を助け、二十七人が八十一人を助け……と、助けられる人が加速度的に増えていくことになる。しかも、それをはじめるのはたった一人でいいのだ。たった一人、たとえば私でもいいし、このブログを見てくれたあなたでもいい。困っている人を三人助け、その人に「私に対してじゃなく、誰か別の三人を助けてね」と言えばいいのだ。


 この計画がどんなふうに世界を変えていくのか、そしてトレヴァー少年の顛末については、もし興味があればこの小説を読んでみてたしかめてもらいたいが、私がずいぶん前に読んだこの小説を今になって教養書エントリーとして紹介しようと思ったのは、この「ペイ・フォワード」の考えが、成熟し、行き詰った感のある資本主義中心の社会の、次の段階をイメージするヒントになるかもしれない、と思ったからだ。


 資本主義においては、貨幣という信用を基準に、すべてのモノやサービスに価値があらかじめ付与される。私たちはその市場価値にもとづいて、貨幣を稼ぎ、その貨幣をモノやサービスに交換して生きている。だが「ペイ・フォワード」において、助けられたことに対する価値を決定するのは貨幣ではなく、助けられた当人である。助けられた人は、別の三人を助けなければならないのだが、それはあくまで当人が「助けられたこと」に対して「返済しなければならない」という義務感を持てるかどうかにかかっており、その気になればいくらでも無視することが可能なものだ。


 だが、そういったことも含んだうえで、「価値を自分で決める」という要素こそが、「ペイ・フォワード」の重要な点ではないか、と最近になって思うようになっている。何をもって「助ける」行為とするかは、人によってさまざまだ。ごくささやかな「助ける」行為しかできない(あるいはしない)人もいるし、それ以上のことができる人もいる。だが同時に、その「助ける」行為に対してどれだけの「価値」を見いだすのかもまた、助けられた人にゆだねられているのだ。助けた人にとっては、なんてことのない「助ける」行為が、助けられた人にとってはとてつもない「価値」として認識されるかもしれないのだ。


 助けられた恩を相手に返す、贈り物をされたら相応のモノを相手に返す、というだけでは、その二人の間だけで価値の交換が完結してしまい、広がっていく余地がない。そうではなくて、それ以外の多数に返す、という考えには、大きな可能性がたしかにあるように思える。それは人びとが思うそれぞれの「価値」を、まるで貨幣のように世界じゅうに流通させる、優しくて倫理的な人間社会のあるべき姿だと思うのは、私だけだろうか。