教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

本当の教養とは「ムダ」なもの――『池上彰の教養のススメ』

 およそ教養書をお勧めするブログであるからには、『池上彰の教養のススメ』という本を外すわけにはいかないと思っていた。もっとも、この本のことを知ったのは、このブログをはじめてからのことで、自分の思いつきというのは得てして他の誰かがすでに思いついているものだ、という良い例にもなったのだが、じっさいに読んでみると、これまで私が漠然と思っていた「教養」というものの効用、その必要性について、じつに簡潔な言葉で書かれていることに深い感銘を受けた。


 テレビでも有名な池上彰氏の名前を冠してはいるが、その内容は、東京工業大学に2011年に設立された「リベラルアーツセンター」の教授たちとの対談がメインとなっている。このリベラルアーツは、社会に出てすぐに使える実学重視の思考に偏っていた大学の教育方針をあらためるべく、とくに専門知識を必要とする東工大で、あえて教養を教えるための機関だ。教える先生も哲学の桑子敏雄氏、文化人類学上田紀行氏、生物学の本川達雄氏といった、理工とは関係のない分野の人たちである。


 この本で言う「教養」とは、たとえば社会に出てすぐ役に立つような知識や技術とは、対極に位置するものだ。たしかによく考えてみれば、中学や高校で勉強した古典や化学の知識、数学の二次方程式とか二次関数とかいったものが、社会に出て何かの役に立ったかと言えば、ほとんど何の役にも立っていないという現実がある。だが同時に、もし実用一辺倒の合理主義だけで教育が成り立っていったとしたら、はたしてどうなるか。


 合理主義とは、最低限の労力で最大限の成果を得ることである。学校で高く評価されるのは、テストで良い点数を取ることであり、最終的には一流と呼ばれる大学に入学することにある。これを組み合わせると、もっとも合理的な教育とは、すなわち大学入試試験で高い点数を取るテクニックをひたすら磨き続けること、ということになる。さらに想像を飛躍させるなら、自分の成績を上げる労力より、周囲の成績を下げる労力ほうがコストパフォーマンスが良いと判断されたなら、そうした行為に注力するほうが合理的、ということにもなる。なぜならそれは、相対的に自分の成績が上がることを意味するからだ。


 ちょっと考えれば、どこかおかしいということに気がつくはずである。だが、そのおかしなことを「おかしい」と気づけなかったのが、今の教育機関であり、そうした判断が今の日本企業の弱体化につながっている、とこの本では結論づける。無駄なものと切り捨ててきた「教養」のない人物ばかりを育てていった結果、日本の企業は魅力的な商品を生み出す力を失いつつあるのだ、と。


 教養とは基本的にムダなものだ、というこの本の言葉は、その「ムダ」なことに夢中になることの大切さの裏返しでもある。自分を知り、人を知り、世界を知るための教養――それはきっと、その人の人生を豊かなものにするはずだという思いは、私がまさにこのブログを通じて言いたかった言葉そのままである。