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教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

まったく新しいものを生み出すということ――『今日の芸術』

 岡本太郎という芸術家についての本を、ずっと読みたいと思っていた。それはたとえば、テレビのなかで「芸術は爆発だ」と叫んでいた岡本太郎というイメージが、私の知るすべてだという事実に対する不満もあったが、何より教養書を読んでいると、けっこういろいろな人が岡本太郎氏に影響を受けた形跡をうかがえるから、というのが大きい。


 そんな岡本太郎氏によって書かれた『今日の芸術』を読むと、著者の芸術に対する姿勢が見えてくる。芸術とは何なのか、という命題に対して、著者の答えは「常に新しいものを創造すること」という一点に尽きる。


 それまでにない新しいものをつくる――それがどれほど困難なことなのかは、たとえば構造主義のことを考えれば容易に想像できることだ。私たちが考えたり思ったり、あるいは言葉にしたり態度に出したりしている事柄は、けっして自身のオリジナルではなく、過去に誰かが話したことや、やってきたことを模倣しているに過ぎない。私たちは生まれる国や母語という影響力からは逃れられない。意識するしないにかかわらず、私たちは母語で物事を考えてしまうし、その国の情勢や文化に考え方を左右されてしまう。


 そうした、個人を構造するありとあらゆる束縛から自由になること、それこそが真の芸術であると、著者は語る。そして、そうした自由を獲得することこそ、人間として生きることであり、生命の喜びを解放することにもつながると続いていく。著者にとって、芸術とは「芸術家」だけの特権ではなく、誰もがなれるもの、なるべきものとしてとらえているのだ。


 たとえば絵を描くときに、私たちはかならずと言っていいほど、何かを模写することからはじめる。絵画というものについての手本があって、できるだけそれに似るように絵を描く。逆に言えば、「何でもいいから好きなように描け」と言われると、私たちはとたんに途方に暮れることになる。何もないところから、自分だけに描けるものを描くことは、じつはこのうえなく苦痛なことなのだ。何か手本があって、それにただ従っているほうが、どれだけ楽か知れない。だが、それをけっして許さないのが岡本太郎という芸術家である。そして、だからこそ著者は、芸術家たりえたとも言える。


 ありのままの自分と向き合い、何よりあらゆる構造から自由になることを目指しつづけた著者の芸術は、今もなお多くの人に影響を及ぼしつづけている。