教養書のすすめ

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インターネットという名の「新大陸」――『ネットが生んだ文化-誰もが表現者の時代-』

 インターネットというものにはじめて触れたのは、私が大学生のころだった。そのときは、まだ一部の大手企業が実験的に自社のウェブサイトを公開している程度で、大学のコンピュータでそうしたページをぼんやり眺めては、「こういうものがあるのか」といった感想しかなかった。その後、個人が情報発信源として自作のウェブサイトをつくり、次々と公開していくようになって、流れは大きく変わったように思う。わからないこと、興味のあることは、とりあえずネットで検索すればなんとかなる――それが仕事においてもあたり前のようになるなど、当時の私はよもや想像すらできなかったことだ。


『ネットが生んだ文化-誰もが表現者の時代-』という本は、「ニコニコ動画」で有名な川上量生氏の監修になるアンソロジーで、各章ごとにネット文化を代表する人たちが、ネットを象徴する「非リア」「炎上」「コピペ」「嫌儲」といったキーワードで率直な意見を語っている。川上量生氏自身も、「ネットがつくった文化圏」というタイトルで序章を書いているが、そのなかに出てくる「ネット新大陸」という独自の表現が、個人的に深い印象を残している。


 インターネットというのは、あくまで仮想のものであって、リアルな現実とは一線を画するものだ、という意識が私にはあった。ネットは便利なものだし、今では仕事においてもなくてはならないインフラになっているが、それ以上のものではないと。だが、ネットというものを、まるで現実の「新大陸」――生きて生活していくための場所であるかのように捉える人たちが、一定数いるという事実に驚かされてしまったのだ。


 思えば、ネット上のブログで収益を得る「アフィリエイト」によって、月に何十万も稼いでいる人たちがいるが、彼らにとっては、ネットはたしかなリアルとしての世界だ。そうでなくとも、小遣い程度の金儲けができるようなウェブサイトが、ネットには次から次へと生まれている。もしインターネットがなければ、そうした人たちはただのサラリーマンでしかなかったのかもしれないし、そもそも会社でサラリーを得るようなやり方になじむことができず、ただ社会に埋没していくしかなかったのかもしれない。インターネットという「新世界」が、さまざまな理由で現実世界に居場所を見いだせずにいた人たちに、たしかな生きる場を与えた。それはさながら、社会の次のステージに適用しようとする「新人類」であるかのようだ。


 もっとも川上量生氏によれば、インターネットが便利なものだと気づいた人たち、いわゆる「非リア充」たちが、こぞってこの「新大陸」へとなだれ込んでいる状態にあるらしい。ネット世界と現実世界との関係が、これからどのように変わっていくのか、楽しみなようでもあるし、怖いようでもある。