教養書のすすめ

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日本の歩みをざっとおさらいするために――『日本という国』

 小熊英二氏の書いた『日本という国』という本は、「よりみちパン!セ」と呼ばれるシリーズのひとつである。出版社は理論社(現在はイースト・プレスにシリーズごと引っ越し、復刊をはたしている)。理論社といえば、会社名こそ堅苦しいが、じつは児童書を中心に本を出版していたところでもある。つまり、このシリーズは基本的に子ども向けに書かれた本ということになる。じっさいには「中学生以上のすべての人向けの本」という体裁になっているが、それだからこそ、読み手をもっとも年齢の若い中学生に想定して文章が書かれており、大方の漢字にはルビが振ってあるという徹底ぶりである。


 基本的に、専門的なことを専門用語を用い、専門家に向けて書くことはやさしい。だが、専門的なことを素人にもわかるように書くことは、非常に難しいし、またやっかいなことでもある。この本は、日本という国のありよう――なぜ日本が、今のような国になったのかについて、おもに明治時代と第二次世界大戦後に焦点を絞ったうえで、わかりやすく説明したものであるが、子ども向けに書かれたものだからといって、けっしてバカにできないものがある。


 私もあらためてこの本を読みなおしてみて、この本の日本に対するとらえ方の、徹底した客観性というものに驚かされた。ここでいう「客観性」とは、日本を当時の国際情勢上の立場から俯瞰することを指す。私たちは、自分の国のことをこうした視点でとらえることに慣れていない。ともすると、私たちは自分のいる国が中心であり、その外には他のいろいろな国があり、それぞれの立場や国際情勢の影響下にあるということに、なかなか想像の目を向けられない。とくに、それが日本にとって都合の悪いこと、プライドを傷つけられるような事柄であれば、なおのことだ。


 たとえばこの本では、戦後における日本の驚異的な経済復興について書いている。敗戦後の焼け野原だった頃からスタートし、世界に例を見ないような復興をはたし、経済大国へとのし上がった日本――それは私を含めた日本人に、多かれ少なかれ刻みつけられた誇りのようなものとなっているところがある。だが、その背景には東西冷戦におけるアメリカの思惑によって、直接的な戦火を交えることのない「おいしい立場」を占めていたことも大きな要因にある、とこの本では語っている。


 第二次世界大戦のことについても、日本はとかく戦争の悲惨さ、空襲や原爆など、あたかも自分たちが戦争の被害者であるかのようにとらえることが多いが、じつは戦時において、日本がアジア地域の国々に対して、どれほどひどい侵略行為をはたらいていたかについては、驚くほど念頭になかったりする。そしてその戦後補償についても、アメリカのお膳立てのもと、相当に軽いものとしてもらったという事実についても、この本では包み隠さずに説明している。


 現在でもたびたびメディアで取り上げられる、さまざまな国際情勢の絡んだ問題――それは靖国問題であったり、従軍慰安婦の問題であったり、あるいは北朝鮮や中国の軍事問題であったりとさまざまであるが――について、じつはこの本に書かれたような、日本の歴史を「世界」の立ち位置でとらえるというものの見方がないと、相対的な理解ができなくなる。日本という国のこれからについて考えるのであれば、少なくともこの本に書かれているような最低限の知識は、教養として身につけておきたいところである。