教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

自然サイクルの認識のために――『くう・ねる・のぐそ』

 子どもの話題に耳を傾けていると、意想外に彼らが下ネタ好きであることを思い知らされる。なぜ小さな子どもたちは、うんこやおならといったものが好きなのだろうか、なんていう疑問に囚われる私は、同時にまたしょうもないことを考えているなあ、とか思ってしまうのだが、なかには私以上にどうでもいいような事柄に疑問をもち、しかもその結果、どうでもいいような課題を自らに課してしまった人がいる。伊沢正名氏の『くう・ねる・のぐそ』を読むと、まさにそんなふうに思ってしまうのだが、さらに面白いのは、読んでいくうちにそうした思いが見事にひっくり返されてしまうという点だ。これこそが読書のダイナミズムだろう、とさえ思わされるものが、この本にはたしかにある。


 著者は自分の排泄したものが最後にはどこへ行ってしまうのか、という命題をとことんまで突きつめていった結果、トイレで排泄することを拒否し、常に野糞を実践することによって自分の排泄物の行く末に責任を持つことを自身に課した方である。以来、野糞一筋三十五年、どんなときも排泄するときは野糞スタイルという「糞土師」たる著者は、もともとは自然保護運動を通じて、死骸や有害物質を分解する菌やキノコに興味をいだき、キノコ専門の写真家になったという経緯がある。自然保護を訴える立場にいる者が、自分の排泄物を自然のサイクルから外すような行為をしてはならない、という著者の主張はきわめて正当なものであり、それゆえに野糞の話であるにもかかわらず、深い印象を残す本となっている。


 そう、冒頭でこそ「しょうもないこと」と書いてしまったが、自然サイクルの一環として、自分の排泄物を「汚いもの」として下水道に流してしまうのではなく、自然によって分解されていく様子を観察するという著者の姿勢は、真面目そのものだ。そしてこの本を読んでいくうちに、いつの間にか自然のサイクルから外れたような暮らしをあたり前のように享受している自分たちは、じつはとても変なことをしているのではないか、とさえ思えてしまうのだ。


 もちろん、野糞を実践するさいの知識やノウハウなんかについても満載なこの本は、まぎれもない「教養書」と言ってもさしつかえないだろう。