教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

人間社会の次のステージに迫る――『暇つぶしの時代』

 子どものころ、二十一世紀になれば人は旅行に行くような感覚で宇宙に行くことができると信じていた。そして二十一世紀になった現在、宇宙旅行はおろか、人間の代わりに仕事をしてくれるロボットの普及もままならず、人びとはあい変わらず労働に追われ、利益のため、給料のために神経をすり減らしつづけている。インターネットやスマートフォンといった技術革新はあったが、それでも今のこの世にどんよりとたちこめる、未来に対する言葉にできない閉塞感は、いったいどうしたことだろう、という思いでいた私にとって、橘川幸夫氏の『暇つぶしの時代』というタイトルの本は、何か挑戦的なもののように感じたことを覚えている。


 この本に書かれていることの趣旨としては、かつて人間社会が農業社会から工業社会へとシフトしていったように、今は工業社会が成熟の段階にあり、さらに別の形態の社会へとシフトしつつある、というものだ。そして人間社会が工業社会となったときに、人びとの生活が豊かになったように、次に待ち受ける社会では、人びとは豊かになったことで手にするようになった「暇」を、より有益な方向で活用していくことが基本となる、という予測を立てている。


 より多くの利益を上げる、自分の富をより増やしていく、というのは、あきらかに工業社会が生み出した基本概念だ。だがその社会が成熟を迎えたのだとすれば、そうした考え方もまたあらためる必要がある。利益優先ではなく、「暇つぶし」を優先するという観点から世界を捉えたときに、そこにいったいどのような社会が築かれていくのか、という一種の思考実験は、私にとってけっこうワクワクするような体験だった。そしてじっさい、知識を欲して教養書を読むようになった私には、そうした小さな流れがあちこちで起こりつつあるという予兆が感じられる。


 人はけっして儲けのためだけに働いているわけではない。そしてここでいう「暇」とは、心の余裕があってはじめて意味を成すものだ。仮に、ロボットがすべての仕事を肩代わりするようになったときに、人びとの手に溢れる「暇」を真に楽しむことができるような社会とは、いったいどんな様相をしているのだろうか。