教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

脳みそとより良く付き合っていくために――『脳には妙なクセがある』

 脳科学と構造主義はよく似ている、と感じる。どちらも理解が進んでいくにつれて、まぎれもない自分というもののどうしようもない曖昧さ、自分という存在の限定性というものに気づかずにはいられなくなってくるのだ。私たちがあたり前に持ち合わせていると思っている自由や自主性が、じつはその周囲にある要素によって無自覚にそう思い込まされているにすぎない、ということを、池谷裕二氏の『脳には妙なクセがある』は、脳の「クセ」という表現で解説してくれる。


 たとえば私たちは、何か悲しいことがあったから涙を流したり、あるいは楽しいことがあったから笑顔になると思っている。だが脳科学の分野では、その因果関係が逆転していることが明らかになっている。この本のなかでは「顔面フィードバック」という言葉で説明されているが、顔の表情が一種のスイッチとなって、脳への神経活動が発生し、その結果として喜怒哀楽の感情が脳内で起こっているらしい。つまり、とにかく笑顔をつくれば、自然と楽しい気分になってくるということが、科学的にも証明されたことになる。


 脳のことを知るというのは、自分というものを知ることであり、それ以前に人間とは何なのかを知ることにもつながっていく。この本を読んでいてつくづく思ったのは、私たちはたしかに人間なのかもしれないが、それ以前に哺乳類であり、動物であり、そして生き物のひとつにすぎない、ということだ。どれだけ高度な文明を築き、高尚で複雑な思考体系を確立しても、そのベースになっているのはもっと原始的なもの、たとえば危険なものから逃げるとか、餌が見つかれば近づくとかいった、単純な入出力の作用である。そしてそんな入出力装置である脳は、私たちが思っている以上に勘違いをしたり、判断を誤ったりする。


 私たちはものを考え、何かを意識する生き物ではあるが、四六時中意識を集中しているわけではないし、そんなことを続けていてはまず身がもたない。歩くときどちらの足から前に出すとかいった瑣末なことは、意識することなく体が半自動的に反応してくれているが、じつのところ私たちの生活の大半が、そうした反射作用の積み重ねであると考えると、そうした部分もまたけっして疎かにできないものだということに気づく。より良い経験を積み重ね、無意識の直感を磨いていくべきだ、という著者の提言は、これからの道徳の在りようを考えるうえでも重要なものである。