教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

サイズから生物の謎に迫る――『ゾウの時間 ネズミの時間』

 オランダに新婚旅行に行ってきた友人の話のなかで、とくに印象に残っているもののひとつに、トイレの大きさの話があった。彼は日本人のなかでは体格が良く、大柄なほうであるが、そんな彼をしてもオランダの一般的なトイレの大きさに驚いたという。まるでリアルガリバーみたいだった、という友人の話を聞きながら、ふと本川達雄氏の『ゾウの時間 ネズミの時間』という教養書のことを思い出した。


 生き物のサイズという着眼点によって論を進めていくこの本の面白いところは、サイズのデザインを広く動物一般、しいてはヒトにまで当てはめて考えてみようという発想にある。そしてそれは、ともすると「人間」という姿かたちをしていることを前提に物事を考えてしまいがちな私たちの偏った思考に気づかせてくれるものでもある。たとえば、タイトルにある「ゾウの時間 ネズミの時間」という表現には、私たち人間が万国共通の尺度として適用している、時分秒単位で測ることのできる時間の概念があてはまらない。私たちからすれば、ネズミの寿命は短いし、ゾウの寿命は長い。そしてそこにはサイズの問題と、そのサイズから消費されるエネルギーの問題が絡んでくるのだが、ここで時間という単位のベクトルを、心臓の鼓動数に変換してみると、哺乳類ではどの動物でも、その生涯に心臓が二十億回鼓動するという計算になるという。


 つまり、ネズミにはネズミの時間感覚があり、ゾウにはゾウの時間感覚がある。著者はそれを「生理的時間」と呼んでいるが、こうした相対性は容易に私たちのなかにある常識を覆してくれるという醍醐味がある。たとえば、私たちが六階の建物の屋上から落ちれば、下手をすれば死んでしまうが、ハツカネズミのようなサイズであれば、落ちても怪我ひとつしない。もし、人間がハツカネズミ並みのサイズだったとすれば、私たちがしばしば高い場所に感じてしまう恐怖感はまず理解不能なものと化してしまうだろう。


 日本人とオランダ人とでは、見た目も肌の色も、背負っている歴史や文化も異なっているが、何よりそのサイズが違う、ということに着目したとき、そしてそのサイズがどのような生活環境に起因するものなのか、ということに着目したとき、ひょっとすると人と人とがよりわかりあえるようになるのかもしれない。異国人の思考や感覚が自分たちと異なるのは、もしかしたらサイズのせいなのかもしれないのだから。