教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

インターネットという名の「新大陸」――『ネットが生んだ文化-誰もが表現者の時代-』

インターネットというものにはじめて触れたのは、私が大学生のころだった。そのときは、まだ一部の大手企業が実験的に自社のウェブサイトを公開している程度で、大学のコンピュータでそうしたページをぼんやり眺めては、「こういうものがあるのか」といった…

効率化を求めることの弊害について

前回の教養書エントリーで取りあげた小松貴氏の『裏山の奇人』は、長野の「裏山」という、ごくありふれた場所に生息する虫たちの不思議を取り上げた良書である。そしてこの本で著者自身も語っているように、私たちの住む世界には、まだまだよくわかっていな…

あなたの身近にある未知の世界――『裏山の奇人』

科学の発達は、この地球上から未知の領域を確実に奪っていったと思っていた。いまや世界のどこにも、人が足を踏み入れていない場所などない。どんなに深い海の底にも、どんなに高い山の上にも、人は果敢に乗り込んでいき、手付かずの場所を探すことのほうが…

お金に対する嫌悪感について

前回の教養書エントリーでは、マーク・ボイル氏の『ぼくはお金を使わずに生きることにした』を取りあげたが、そのなかで私は、お金に対する嫌悪感について少し触れた。著者がお金を使わずに生きることを決意した背景には、無限に資本を集め、増殖していくこ…

資本主義への究極の反逆――『ぼくはお金を使わずに生きることにした』

お金とは便利なものだ。お金さえ持っていれば、世の中の大抵のものはそれと交換で手に入れることができる。少なくとも物々交換よりは効率のいい仕組みなのは間違いない。だが同時に、お金とはあくまで「約束事」であって、貨幣や紙幣そのものに価値があるわ…

強い心を手に入れるには――『宇宙飛行士に学ぶ心の鍛え方』

自分の心の弱さというものに、ときどき自分でもあきれ果ててしまうことがある。こと突発的な出来事に対して、私はすぐに動揺をあらわにしてしまうところがあって、なかなか心を平静に保てないことなどしょっちゅうだ。どんな逆境においてもびくともしないよ…

言語が国語になるということ――『ことばと国家』

たとえば「日本語」という言葉を聞いたとき、私たちはひとつの常識として、そこに「日本人」という民族と、「日本国」という国のことを連想する。ひとつの言葉が、ひとつの民族や国家と深く結びついている、というのは、こと言語学の世界では相当に珍しいケ…

感情をいかにコントロールするか――『EQ-こころの知能指数-』

小さいころ、私はわりと勉強ができる子どもだった。今では「勉強ができる」ということが、そのまま「頭が良い」ということを意味するわけでないことを知っているが、では人間の頭の良さとは、いったいどういうことを言うのだろう、という疑問は以前からあっ…

自然サイクルの認識のために――『くう・ねる・のぐそ』

子どもの話題に耳を傾けていると、意想外に彼らが下ネタ好きであることを思い知らされる。なぜ小さな子どもたちは、うんこやおならといったものが好きなのだろうか、なんていう疑問に囚われる私は、同時にまたしょうもないことを考えているなあ、とか思って…

自分の存在をどう実感するか――『身体感覚を取り戻す』

もともと読書が好きだった、というか今もけっして嫌いではない私は、知識を得るにもとりあえずその手の本を読んでみる、というのが行動原理になっているところがある。たしかに本は知識を得るための有効や手段であり、また現実に行くことのできない場所に行…

記憶力がもたらす人間の内面――『ナンシー関の記憶スケッチアカデミー』

このブログのタイトルに、私は「教養書のすすめ」と安易につけたが、はたして「教養書」とはどういう本のことを指すのだろう、とふと考える。図書館ではすべての本が厳密に分類されるが、すべての本がそうした枠に収まるわけではなく、なかにはいくつかのジ…

型にはまることからの解放――『禅と日本文化』

禅について知りたいと思ったのは、それが日本独自のものというイメージがあったからだ。そしてもしそうであるなら、私が日本人である以上、私という存在もまた禅の影響を受けているはずであり、禅を知ることは自分を知ることにもつながるはずである。鈴木大…

バナナに秘められた壮大な歴史――『バナナの世界史』

私たちの身近にありながら、じつはその詳細についてよく知らない、というものは意外と多い。それは、私たちがとくにそれを知らなくても生きていけるからに他ならず、また貨幣という信用によって成り立っている経済活動の賜物でもあるのだが、ダン・コッペル…

交響するコミューンという社会――『社会学入門』

たった一度しかない自分の人生において、否応なく付き合っていかなければならないものとして、自分自身と人間社会のふたつがある。人生をより良いものとしたいという命題を掘り下げていくと、どうしても自分自身のことだけでなく、社会のことにも目を向けざ…

人間社会の次のステージに迫る――『暇つぶしの時代』

子どものころ、二十一世紀になれば人は旅行に行くような感覚で宇宙に行くことができると信じていた。そして二十一世紀になった現在、宇宙旅行はおろか、人間の代わりに仕事をしてくれるロボットの普及もままならず、人びとはあい変わらず労働に追われ、利益…

人間関係に迷ったときに――『アドラー心理学入門』

生きるとはどういうことなのか、人生をより良く生きるために、自分はどうすればいいのか、という命題が、ふいに脳裏をよぎることがある。思えば教養書を読みたい、これまで知らなかった知識に触れたいという欲求は、常にこの命題とつながっているような気が…

次元の壁を超えていく数学――『無限と連続』

数学の世界は突きつめていくと、人間の想像力をとことんまで試すようなところがある。たとえば数字のゼロは、何もないことを表わす数字だが、よくよく考えると「何もない」ことをなぜ数字で表すことができるのか、これほどの疑問も他にない。遠山啓氏の『無…

民主主義って、そもそも何なのか――『来るべき民主主義』

ネットとかで「日本は民主主義ではない」といった主張を見かけるたびに、「じゃあ民主主義ってなんなんだよ」という疑問が生まれ、一時期は民主主義に関する教養書を何冊か読み漁っていたことがある。結果としては、わかったようなよくわからないような感じ…

立身出世への夢のために――『科挙』

どうもここ最近、日本においても経済的貧富の格差が広がっているように思えるような事柄がよく目についたりする。それでも日本には義務教育があって、誰でも教育を受ける権利が与えられているし、より高度な学問を志す高校や大学にしても、試験制度によって…

脳みそとより良く付き合っていくために――『脳には妙なクセがある』

脳科学と構造主義はよく似ている、と感じる。どちらも理解が進んでいくにつれて、まぎれもない自分というもののどうしようもない曖昧さ、自分という存在の限定性というものに気づかずにはいられなくなってくるのだ。私たちがあたり前に持ち合わせていると思…

動物を屠って食べるということ――『肉食の思想』

たまに友人と焼肉を食べに行ったりすると、その友人はかならずといっていいほどご飯をどんぶりで注文する。せっかく焼肉のお店に来たのに、ご飯を食べるのはなんか変ではないかと思いながらも、気がつくと私もそのご飯を食べてしまっている。だって焼肉とご…

構造に組み込まれた私たち――『寝ながら学べる構造主義』

それまでの人生において、確固たる私自身、何ものにも揺らぐことのない自己というものが自分の内にあるはずだ、という思いにずっと囚われていた私を解放してくれたものがあるとすれば、それは構造主義という思想である。内田樹氏の『寝ながら学べる構造主義…

呪術としての漢字――『漢字-生い立ちとその背景-』

たとえば、「口」や「目」といった漢字の成り立ちについて、私がよく知っているのは実際の口や目の形を模写したもの、というものだった。それは表意文字としての漢字の特徴をよく言い表すもので、白川静氏の『漢字-生い立ちとその背景-』を読むまでは、あ…

サイズから生物の謎に迫る――『ゾウの時間 ネズミの時間』

オランダに新婚旅行に行ってきた友人の話のなかで、とくに印象に残っているもののひとつに、トイレの大きさの話があった。彼は日本人のなかでは体格が良く、大柄なほうであるが、そんな彼をしてもオランダの一般的なトイレの大きさに驚いたという。まるでリ…

それでも人間でありつづけるために――『夜と霧』

けっこういろんな読書家が勧める教養書の代表とも言うべきもののひとつに、ヴィクトール・E・フランクル氏の『夜と霧』(みすず書房)がある。もっとも、私がこの本を知るきっかけとなったのは、じつは夏川草介の小説『神様のカルテ2』だったりする。その…

知識を得るための読書について

教養書を読みたい――そんなふうに思うようになったのは、いつぐらいからだろう。 人がなぜ本を読むのかと考えたとき、おそらくふたりの理由があると思われる。ひとつは「娯楽」のための読書、小説のなかに書かれた物語に没入して、ほんの一時であれ不条理で理…