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教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

「自然に生きる」ということ

私たちはこの世に生まれた瞬間から、大自然から認められた「生きていていい命」である、というのは、名取芳彦の『気にしない練習』という本の言葉である。お寺の住職を勤めている、いかにもお坊さんらしい言葉だが、私たちを構成する肉や骨、内臓も含めた、…

人は「言い訳」をする生き物

人が行動するときに、常に何かを思考した結果としてそうしているわけではなく、むしろ機械的、自動的な行動に身を任せていることのほうが多い、というのは、ロバート・B・チャルディーニの『影響力の武器』に書かれていることで、人もしょせんは動物の一種…

自分が「ロートル」であるという認識

前回紹介した西内啓氏の『統計学が最強の学問である』は、読んでいると「統計学」によってどんな因果関係でも数字で説明できるような気になってくる、という点で非常に興味深い本であり、また統計学のそもそもの成り立ちや、どういった経緯があってそうした…

インターネットにおける「PV主義」について

これはより正確には「PV至上主義」と言うべきかもしれない。「PV」とは「ページビュー」のこと。つまり、インターネット上で公開しているウェブページやブログの特定のページが閲覧された回数のことを指す用語である。私はかつて、前世紀末ごろに自身の…

これまで持っていたプラグマティズムのイメージについて

前回のエントリーで紹介した小川仁志氏の『アメリカを動かす思想』は、アメリカ人の思考の根底にある「プラグマティズム」について、より理解を深めたいという欲求があって読んだ教養書であるが、じつは「プラグマティズム」については、岩波文庫で出ている…

「正常」と「異常」の境界線の遷移について

あえてタイトルに「正常」と「異常」という単語を使ったが、具体的に言えば、私たち人間の心の状態を指していると考えてほしい。その人の精神が健康な状態なのか、あるいは何らかの「病気」にかかっているのか――それは身体的な症状として、比較的わかりやす…

バブル経済は私たちから何を隠していたのか

ブログタイトルだけを捉えると、まるでバブル経済が何らかの意志をもって私たちから何かを見えないようにしていたかのように思われるが、じっさいにはバブル経済が弾けたことによって、それまではささいな事柄として放っておかれたさまざまな問題が、人びと…

効率化を求めることの弊害について

前回の教養書エントリーで取りあげた小松貴氏の『裏山の奇人』は、長野の「裏山」という、ごくありふれた場所に生息する虫たちの不思議を取り上げた良書である。そしてこの本で著者自身も語っているように、私たちの住む世界には、まだまだよくわかっていな…

お金に対する嫌悪感について

前回の教養書エントリーでは、マーク・ボイル氏の『ぼくはお金を使わずに生きることにした』を取りあげたが、そのなかで私は、お金に対する嫌悪感について少し触れた。著者がお金を使わずに生きることを決意した背景には、無限に資本を集め、増殖していくこ…

知識を得るための読書について

教養書を読みたい――そんなふうに思うようになったのは、いつぐらいからだろう。 人がなぜ本を読むのかと考えたとき、おそらくふたりの理由があると思われる。ひとつは「娯楽」のための読書、小説のなかに書かれた物語に没入して、ほんの一時であれ不条理で理…