教養書のすすめ

-読書でより良い人生を生きるために-

考え抜いたことだけを書け――『読書について』

 このブログは教養書を読むことで、さまざまな方面の知識を身につけたい、という個人的欲求があってはじめたものだが、そうやって興味の赴くままに教養書を読んでいくと、不意に以前読んだ教養書の知識や、そこで感じたある要素がつながっているのではないか、という感覚が生まれてくることがある。いっけんするとまったく違う分野の教養書であるにもかかわらず、じつはそれらが見ているもの、捉えようとしているものが、同じもののように思えてくるのだ。


 とくに最近の教養書を読むと、今の社会が抱えている様々な問題が、なんらかの形でそこに絡んでいることが多くて驚かされる。資本主義の限界、極端な自由経済の奨励と自己責任論、広がる格差と貧困問題、少子高齢化などなど、今を生きる私たちにとっても、けっして無視できない問題を、まるでいろいろな分野の人たちが憂慮し、その解決のために知恵を絞っているような気がしてならなくなってくる。

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人間による神の居場所の探求――『物理学と神』

 科学と神、あるいは神学というものは、相容れないものであるという意識が私たちにはあるが、たとえばアメリカにおける「創造科学」の変遷などを考えると、かならずしもそういうわけでないことが見えてくる。「創造科学」とは、おもにダーウィンの進化論を否定するために生み出された、いわゆるニセ科学に属するものであり、あくまで聖書の記されているとおりのことが起こったと主張することを基本とする。キリスト教創世神話を観察科学とみなし、それゆえに進化論だけを学校で教育するのは違法であるという訴えがじっさいに起こり、裁判沙汰にまで発展したのだ。何世紀も前の話ではない。科学の世紀と謳われた20世紀末のことであり、21世紀になってもなお、創造科学を学校教育に取り入れようという動きが向こうではあるという。

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インターネットにおける「PV主義」について

 これはより正確には「PV至上主義」と言うべきかもしれない。「PV」とは「ページビュー」のこと。つまり、インターネット上で公開しているウェブページやブログの特定のページが閲覧された回数のことを指す用語である。私はかつて、前世紀末ごろに自身のウェブサイトを立ち上げ、それなりに長く運営していたことがあったが、あれから十年以上が経った現在、ウェブサイトはいかにPVを集めるか、という点のみにあくせくしているように思える。そしてそれが、かつてあったはずのインターネットの面白さ、その魅力を損なってしまっているようにも思えるのだが、私がふとそんなふうに思った要因のひとつとして、前回のエントリーで紹介した湯浅誠氏の著書『反貧困-「すべり台社会」からの脱出-』がある。

toncyuu.hatenablog.com

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見えない貧困に目を向ける――『反貧困-「すべり台社会」からの脱出-』

 日本の景気が良くならない、いや、たしかに景気は良くなったという政府発表とは裏腹に、私たちの生活がいっこうに向上したようには思えない、むしろ悪くなっているようにさえ思えるのは、経済的にはお金が回っていないから、という理由へと帰結していく。誰もが以前のようにじゃんじゃん商品やサービスを消費して、お金が流通するようになれば景気は回復する――それはたしかにそのとおりではあるが、需要と供給のバランスによって価格が自動的に適正になっていくというミクロ経済の理論は、こと不況期においては思ったように機能しないこともわかっている。

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善き生としての正義――『これからの「正義」の話をしよう』

 ハーバード大学におけるマイケル・サンデル氏の講義については、一度だけNHKの番組で放送されていたのを視聴したことがあった。それはまったくの偶然であり、またそのときの私は差し迫った用事もあったため、全部を観ることなくその場を離れなければならなかったのだが、そのときの印象としてあるのは、彼の講義が常に学生たちに対して、意識して考えさせるような命題を提示していることと、ある意見に対する反対意見や反論について、自分自身ではなく、同じ学生に対して行なわせようとしている姿勢だった。


 ここでいう「意識して考えさせる」というのは、それまではおそらく意識することもなく、ある結論を出していたであろう考えについて、なぜそう思ったのかを問いかけるという意味をもつ。『これからの「正義」の話をしよう』という本については、以前に読んでいたこともあって、テレビでその講義を観たときは、なるほどこんなふうに進めていたのだな、と思った程度だったのだが、今回のエントリーであらためてこの本を読みなおしたときに、そうした著者の講義の姿勢が、ある明確な目的をもって行なわれていたということに気づかされた。

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これまで持っていたプラグマティズムのイメージについて

 前回のエントリーで紹介した小川仁志氏の『アメリカを動かす思想』は、アメリカ人の思考の根底にある「プラグマティズム」について、より理解を深めたいという欲求があって読んだ教養書であるが、じつは「プラグマティズム」については、岩波文庫で出ているW・ジェイムズの『プラグマティズム』をずいぶん前に読んだものの、あまり理解できないままなんとなく読むのを中断してしまっていた、という個人的経緯があったりする。

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意識されないプラグマティズムの精神――『アメリカを動かす思想』

 日本にとってアメリカという国は、良くも悪くも切っても切れない関係にある。というよりも、むしろ日本はいまだアメリカの属国だという意識が多かれ少なかれ私たちにはあるみたいだが、そんなアメリカのことを理解するためには「プラグマティズム」と呼ばれる思想を知る必要がある、という話を何度か耳にしたことがあった。私が小川仁志氏の『アメリカを動かす思想』という本を手にとったのは、ひとえにそのサブタイトルにある「プラグマティズム入門」という言葉に惹かれてのことだったのだが、この本を読んでわかるのは、たしかにプラグマティズムはアメリカを動かす思想となってはいるのだが、それはアメリカ人にとって疑う余地のない原理であるがゆえに、ふだんの言動において意識されることすらない、ということである。

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